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南島の瀬織津姫〈23〉徐福伝説

1週間前、沖繩南部にいた。着いた日曜の午後、
那覇空港付近から南城市玉城へと車を走らせる。
前回ブログで「徐福はミントングスクに渡来した」
と書いたこともあり、足は自ずとそちらに向く。

コストコ(南城倉庫店)から帰る車だろうか、
県道86号線の那覇向け車線が超渋滞していた。

コストコに最寄りの垣花交差点から1㎞ほど、
車列はピタリと止まっていて動く気配がない。
これがコストコ渋滞かと、昨夏以来の話題を思う。

垣花交差点から、逆に1本海側の道を東へ進むと、
垣花集落に着く。そこから海側の石段を降りると、
環境省の「日本名水百選」にも選ばれた、清い湧水
で有名な垣花樋川(かきはなヒージャー)がある。

集落から樋川まで約200mの坂(ビラ)の中腹
から出ずる湧水口が2ケ所(男川・女川)ある。
こちらは↓男川(イナグンガー)と拝所(写真右)
南島の瀬織津姫〈23〉徐福伝説_a0300530_07171990.jpg








垣花樋川の溜池ではお子連れ家族が写真撮影中。
男川では摘んだ月桃を洗う人も。のどかな風景
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垣花樋川はこの戦前まで「和名ガー」と呼ばれた
という。垣花集落の旧名が「和名」だったからだ。

前置きが長くなったが、本題は徐福伝説である。
垣花樋川に近いミントングスクに渡来した徐福は、
古伝によれば豚を故郷から取り寄せ、人が死ぬと
遺族が喰する風習を止めさせたという。ミントン
グスクには、初めて豚を殺した所が残されていた。

徐福に関連する古伝はまだある。
近くの高台(現・琉球ゴルフ倶楽部)の端にある
 拝所「赤肉のお墓」は、徐福の墓地だと伝わる。

また、徐福は、ミントングスク↓に定住して
代々多くの子孫を残したが、その中には、和名
垣花の始祖となり和名大主と呼ばれた人もいた。
垣花樋川(和名ガー)も徐福に所縁だったわけだ
南島の瀬織津姫〈23〉徐福伝説_a0300530_17065554.jpg






また、ブログ「徐福とミントングスク」や、
 当時には、気づかなかった地名もある。

知念半島の中央に聳える「そこにや御嶽」こと
須久名御嶽。その頂上は「うーどー」と呼ばれた。
語り部に尋ねると、表記は「大堂」だそうだ。
 堂(殿)なら、ここも徐福伝説の地かもしれない。
つづく…


by utoutou | 2025-10-07 14:44 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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