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南島の瀬織津姫〈24〉徐福の稲作

垣花樋川(かきはなひーじゃー、南城市玉城垣花)
から、海際の受水走水(うきんちゅ・はいんちゅ)
へ向かった。玉城台地の上部に位置する
垣花樋川から受水走水まで、旧道ならほぼ一直線。

その中腹あたりにアマミキヨの居住地跡という
ミントングスクがあり、その旧道は「ノロ道」と
 呼ばれた。御嶽(聖地)や樋川を繋ぐ参詣道だ。

樋川とは、まさにこの玉城台地が秘めた地層
…透水性の高い琉球石灰岩と、その下の不透水性の
島尻泥岩…の境界にできた、水の湧く川泉のこと。
沖縄本島南部の独特な地層から、稲作は発祥した。

1万年前に起こったという中城湾陥没の痕跡を残す
玉城台地の海側斜面。ここに七つの樋川があった
ので、一大水田地帯は「七田原」と呼ばれたが、
今次の戦後の減反政策により、消滅したという。


受水走水は観光地「アマミキヨの道」沿いにある。
道を北に100mほど進むと、アマミキヨ上陸地
として有名な、ヤラヅカサのある新原海岸に出る
南島の瀬織津姫〈24〉徐福の稲作_a0300530_06510214.jpg








受水走水から新原海岸(太平洋)方面を見る。
ビーチは観光地だが、防風林から手前は田畑
南島の瀬織津姫〈24〉徐福の稲作_a0300530_06510583.jpg









久しぶりに出かけた受水走水は、寂れていた。
水は枯れ、手入れもあまりされていない様子。
初午の日に行われる親田御願(うぇーだのうがん)
以外の季節は、こうした感じなのかもしれない。

一度見学した際には、田植え祭りが終わると、
一団は、ミントン門中の旧家に行き報告をしたが、
本来なら報告先は、元家であるミントゥン家の
神壇なのだと、門中の古老が言っていたものだ
南島の瀬織津姫〈24〉徐福の稲作_a0300530_06510763.jpg









 さて、沖縄の稲作は14世紀からと言われる。
徐福の弥生時代ではない。が、うさち(御先=
縄文弥生期)にも、玉城で稲作は行われていた
という古代伝承は、いまも根強く残っている。

  足を運んでみて目の当たりしたが、受水走水
  から崖上に登る石段は、通行禁止になっている。

 
 石段(写真左)の先にカラウカハ(天孫氏ガー)
 があり、さらに御先三穂田(うさちみーふーだ)
 と呼ばれる御嶽がある。いま水は枯れているが…
南島の瀬織津姫〈24〉徐福の稲作_a0300530_06510960.jpg




昨日のことだった。
 御先御穂田について聞くと、語り部は言った。
「そこが、徐福がもたらした稲作の地なんですよ」

日本列島に水田稲作が普及したのは紀元前3世紀
 という説がある。徐福が渡来したのも、その頃。







by utoutou | 2025-10-25 16:27 | 最終章 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2025-10-25 21:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2025-10-28 14:03
> 匿名さん
こんにちは。動画URLをありがとうございました。
初めて拝見して傾聴しました。チムグクル、真理ですよね。

Commented at 2025-10-29 14:22
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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