垣花樋川(かきはなひーじゃー、南城市玉城垣花) から、海際の受水走水(うきんちゅ・はいんちゅ) へ向かった。玉城台地の上部に位置する 垣花樋川から受水走水まで、旧道ならほぼ一直線。 その中腹あたりにアマミキヨの居住地跡という ミントングスクがあり、その旧道は「ノロ道」と 呼ばれた。御嶽(聖地)や樋川を繋ぐ参詣道だ。 樋川とは、まさにこの玉城台地が秘めた地層 …透水性の高い琉球石灰岩と、その下の不透水性の 島尻泥岩…の境界にできた、水の湧く川泉のこと。 沖縄本島南部の独特な地層から、稲作は発祥した。 1万年前に起こったという中城湾陥没の痕跡を残す 玉城台地の海側斜面。ここに七つの樋川があった ので、一大水田地帯は「七田原」と呼ばれたが、 今次の戦後の減反政策により、消滅したという。 受水走水は観光地「アマミキヨの道」沿いにある。 道を北に100mほど進むと、アマミキヨ上陸地 として有名な、ヤラヅカサのある新原海岸に出る ![]() 受水走水から新原海岸(太平洋)方面を見る。 ビーチは観光地だが、防風林から手前は田畑 ![]() 久しぶりに出かけた受水走水は、寂れていた。 水は枯れ、手入れもあまりされていない様子。 初午の日に行われる親田御願(うぇーだのうがん) 以外の季節は、こうした感じなのかもしれない。 一度見学した際には、田植え祭りが終わると、 一団は、ミントン門中の旧家に行き報告をしたが、 本来なら報告先は、元家であるミントゥン家の 神壇なのだと、門中の古老が言っていたものだ ![]() さて、沖縄の稲作は14世紀からと言われる。 徐福の弥生時代ではない。が、うさち(御先= 縄文弥生期)にも、玉城で稲作は行われていた という古代伝承は、いまも根強く残っている。 足を運んでみて目の当たりしたが、受水走水 から崖上に登る石段は、通行禁止になっている。 石段(写真左)の先にカラウカハ(天孫氏ガー) があり、さらに御先三穂田(うさちみーふーだ) と呼ばれる御嶽がある。いま水は枯れているが… ![]() 昨日のことだった。 御先御穂田について聞くと、語り部は言った。 「そこが、徐福がもたらした稲作の地なんですよ」 日本列島に水田稲作が普及したのは紀元前3世紀 という説がある。徐福が渡来したのも、その頃。
by utoutou
| 2025-10-25 16:27
| 最終章
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Comments(3)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> 匿名さん
こんにちは。動画URLをありがとうございました。 初めて拝見して傾聴しました。チムグクル、真理ですよね。
3
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