旅の3日目の朝、久高島西海岸の漁港脇から 5㎞離れた沖縄本島の知念玉城台地を見る。 標高190〜130m、ギネス級の一枚岩だと 地質調査の専門家が言った琉球石灰岩の稜線美。 中央よりやや左に、台地の南端にあたる玉城城 (標高180m)と、その麓にアマミキヨの住居趾 と伝わるミントングスク(標高115m)がある ![]() グスク名のミントンは、漢字表記で明東と書く。 その由来は「陽の昇る明るい東の方向」と いうのが一般的な解釈だが、語り部の意見は違う。 「古代中国で王が祭祀を行ったと言う 明堂(神殿)が語源だと思います。徐福の仕えた 秦の始皇帝も、明堂で即位したといいますからね」 〝ミントンは殿(トゥン)のはじまり〟の諺もある。 琉球の御嶽を祭祀場(神殿)にしたのは徐福だと。 その伝承はすっかり途絶えてしまっている ようだけれど、ミントングスクは沖縄の考古編年 でいう貝塚時代後期前半の遺跡でもある。 それは約2200年前から2000年前までにあたり、 徐福の一団が渡来したとされる時期に一致する。 徐福は百工(技術者)を連れて来たというが、 上陸地ヤハラヅカサのある海岸は、百名という。 久しぶりに参ったミントングスグで、 墓地だけではない、祭祀場(殿)の痕跡を確認する。 石段を登った先に火の神(日月星の拝所)があり、 西にニライカナイ、東に久高島への拝所がある ![]() ミントングスクの神壇でutoutou(合掌)。 香炉は、左から、シルミチュー(シネリキヨ)、 アマミチュー(アマミキヨ )、天孫氏、 そして、右端がミントン(明東)の銘という。 総称してアマミキヨ (渡来してきた人)には、 その4つの種族がいて最後が明東(徐福)となる。 天孫氏とは、琉球古代王朝の系統を指している ![]() 明東天孫氏をブログに書いてから10年が経つ。 にも載せたが、俗に「長浜系図」と呼ばれる 「琉球国三山王各世流系旧案録」には、 明東天孫氏が、アマミキヨ ・シネリキヨの 直系の子孫として明記されている。 系図の作者は長浜親雲上と言われ、琉球王府 の系図座に関係する人物だったとの伝承がある。 つまり、「長浜系図」の成立は王府時代に遡る。 ミントングスクから徐福伝承が消えた理由の 一端は、もしやそこにあるのではないだろうか。 明治初期、琉球国の併合を目論む政府にとって、 当時の清国との通交関係は断ち切るべき課題、 明東天孫氏はその根源だった。 つづく…。 ミントングスク内のアマミキヨ の墓 ![]()
by utoutou
| 2025-11-03 20:12
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