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南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道

アマミキヨの渡来地と伝わるミントングスク
と玉城グスクの一の郭は、ともに夏至の日の出
ライン上にある。※南城市玉城MAP

思えば、玉城グスクの一の郭に久高島の方向から
昇る夏至の朝日が、ピンスポットで注ぎ込むという
伝承を知り、そのレイラインをグスクの空間設計に
取り込んだアマミキヨは誰なのか? という興味が、
思えば、そもそもこのブログを始めた発端だった。
※過去ログ「太陽の道」と「貝の道


夏至の日の出ラインと玉城グスクの関係については、
昭和時代に(当時の)玉城村教育委員会も調査して
いるが、そのレイライン上にミントングスクが存在
することは、語源となった徐福伝説とともに
どうも掻き消されてきてしまった経緯がある。

私自身、久高島の浜辺と玉城グスクで夏至の朝日
を迎えたことはあっても、ミントングスクから
とは、これまで思いも寄らないことだった。今次
の戦後からミントングスクは私有地となっている。


'23年6月22日5時43分。夏至の日の出から
6分後、玉城グスク一の郭から見た東北東。
南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道_a0300530_03025674.jpg









ちょうど日の出の時刻(5時37分)の東北東の空。
レイライン上、森の向こうにミントングスクがある
南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道_a0300530_13362640.jpg









ミントングスクが「太陽信仰の神殿」だったこと
は、鎌倉芳太郎氏が1926(大正15)年に著した
『鎌倉芳太郎ノート』からも窺うことができる。

30数段の石段上に久高島を拝む遥拝所(オトーシ)
があった。石段は夏至の日の出ライン上に造られた
南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道_a0300530_08133735.jpg




  





ミントンの御嶽から東の海を臨む。※'17年に撮影
左の木の下に久高島遥拝所(オトーシ)があった
南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道_a0300530_16162811.jpg










『中村渠祭祀資料〜ミントン』(1990年)より
※ミントングスク神域見取図に赤線で加工
久高島への遥拝所(丸囲い)と夏至の日の出ライン。
左の矢印の先を辿ると、玉城グスクの位置となる
南島の瀬織津姫〈28〉太陽の道_a0300530_11010934.png



見取図左下には夏至の日の出ラインに関するメモが。

〜この霊石より久高島を当てて太陽出点にしらべたるに、
夏至の時 -- 久高島の東北方少しく海中より 〜

この図が描かれた大正時代末までは、ミントングスク
の太陽信仰は続いていたようだ。が、明東天孫氏
と呼ばれた徐福の伝説は、その340年前に完成した
琉球王国の正史『中山世鑑』によって改編された 。
つづく…




by utoutou | 2025-12-05 20:46 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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