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南島の瀬織津姫〈29〉神になった徐福

琉球王府編纂『中山世鑑』の「琉球開闢之事」
に、次のような天地開闢神話が綴られている。
※榕樹書林の「訳注 中山正鑑」を参照

琉球開闢之事 
〜昔々、天城に阿摩美久という神がおられた。
天帝が阿摩美久を召し出して仰せになるには、
「この下に、神が住むべき霊地がある。だが、
いまだに島と成っていないので、口惜しいことだ。
そなたは天降りして島を作りなさい」と下知された。

阿摩美久はかしこまって降臨したところ、霊地には
見えたが、東の海は西の海に超え、西の海の波は
 東の海に超えて、いまだに島には成っていなかった。
それで、阿摩美久は天へ上がり、
「土石や草木を給われば、島を作り奉ります」と
奏した。天帝は御感じあって土石や草木を給わった
ので、阿摩美久は土石と草木を持って降り
数々の島を作った。〜

やがて、琉球七御嶽ができ、天帝の子が降臨し、
お子たちが誕生、長男を国の主・天孫氏と号した。

さて、この王府編纂による「正史」では、
阿摩美久(アマミキヨ)は天帝の直系の神と
なっているが、アマミキヨは渡来の人である。

いわゆる「長浜系図」と呼ばれる民間伝承でも、
明東天孫氏と呼ばれたアマミキヨは、渡来して
百名のヤハラヅカサに着き、浜川に仮住まいした後、
ミントンに住み着いたとされる。その人こそ斉の国
の徐福だというのがミントン古伝であり、ミントン
グスクには中国のサントン(山東省)から牛・豚
・馬・羊を持ち込んだ人(集団)の説話も残っている。

そうした伝承を無視するように、摂政・羽地朝秀
による『中山世鑑』(1650年)は、アマミキヨを
天帝の直系に結びつけたが、それは一体なぜか?

ときは、薩摩による琉球侵攻(1609年)の後。
政治改革に臨んだ羽地朝秀は、「日琉同祖論」に
 基づき、薩摩との協調関係を築こうとしたという。

そのため、渡来人・アマミキヨは、大和の最高神
天照大御神と同じく神裔に見立てられたのでは?


10年近く前になるが、阿須賀神社に近い
徐福公園(新宮市)で偶然に出会った徐福像
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神の島・久高島では、太陽は男神、月は女神
に例えられる。また、秘祭した日月星を「火の神」
と呼んだ。 薩摩侵攻の時代まで火の神(ヒヌカン)
は決して台所の神ではなく、床の間に祀るべき神
だったと語り部。火の神の降格も大和への忖度か?


今年9月30日の朝。島ではこの旧暦8月に、
男たちがテーラーガーミ(太陽神の祭)を行う
南島の瀬織津姫〈29〉神になった徐福_a0300530_05435248.jpg








同じ日、朝9時半の久高島の北端・カベール岬。
ここはアマミキヨが降り立った聖地と伝わるが、
はたして天界からか、異郷から渡って来たのか…
南島の瀬織津姫〈29〉神になった徐福_a0300530_05454468.jpg



by utoutou | 2025-12-15 20:41 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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