年末に訪れた伏見神寶神社。 その境内にある稲荷山遥拝の社で「竹の鳥居」と 「隼人の盾のお札」を、参拝後に見上げていた。 神社の栞には、ここは「竹取物語の原郷」とあり、 かぐや姫と竹細工を特技とした隼人との由縁を思う。 かぐや姫は、中納言の石上麻呂足に「燕の子安貝が 欲しい」と求めたという。その理由には諸説あるが、 縄文時代から宝貝(子安貝)を沖縄など南海の島々 から採集し、殷や周の国と交易したのは隼人だった。 ![]() 最古のお金だった子安貝(キイロタカラガイ) が、遺物としてもっとも大量に出土したのは 燕や斉の国があった山東半島という。けれども、 それらの国で流通したのは明刀銭で宝貝ではない。 つまり、それはどういうことなのだろうか。 思うに山東半島で出土した宝貝は、燕や斉の国 の人々が隼人の宝貝交易に携わっており、そこが 経由基地だったことを示しているかもしれない。 斉が「倭」なら当然の協調関係ではないかと。 ※斉の国こそは本来の「倭」なのではないか と過去ログに書いたことがあった。 宝貝と漢代の貯貝器。 江上波夫著『東アジア文明の源流』より。 この写真は「琉球産の宝貝」でも拝借した ![]() そんなこんなで迎えたお正月。 池橋宏著『稲作渡来民』を再読してみて、 「基地としての山東半島」の章に目が止まる。 このところブログに書いている徐福の故国・ 斉の瑯邪台の麓には良港があり、水田稲作の拠点 があったと氏は推察する。長江流域で呉越の民が 育んだ水田稲作の北限が山東半島だったようだと。 いまも始皇帝と謁見する徐福の像がある山東省 の瑯邪台風景区(Trip.comサイトより拝借) ![]() 徐福の故郷は米どころだった。 秦の始皇帝はその瑯邪台を訪れて(BC210年) 徐福に会い、童男童女数千人を伴い蓬莱の国へ 行き、不老不死の仙薬を求めて帰るよう命じた。 さらに始皇帝は、百工(技術者)や五穀を徐福 に持たせたというが、五穀のうちの「稲」は 陸稲の種籾だったのか、水稲のものだったのか? 沖縄の徐福伝承からなら読み解くことができる。 皆さま、本年もよろしくお願いいたします。
by utoutou
| 2026-01-11 23:36
| 最終章
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Comments(2)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> 晶子さん
コメントありがとうございます。 大城清太さんの個展には何度かお邪魔したことがあります。精密な点描画を見ていると、人間の心身の深淵な部分を見せられているような気になりますね。お祖母様が糸満の神人でいらしたそうですが、清太さんも霊性の高い方のようにお見受けしました。 本年もよろしくお願いいたします。
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