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南島の瀬織津姫〈32〉徐福と稲作

年末に訪れた伏見神寶神社
その境内にある稲荷山遥拝の社で「竹の鳥居」と
「隼人の盾のお札」を、参拝後に見上げていた。
神社の栞には、ここは「竹取物語の原郷」とあり、
かぐや姫と竹細工を特技とした隼人との由縁を思う。

かぐや姫は、中納言の石上麻呂足に「燕の子安貝が
欲しい」と求めたという。その理由には諸説あるが、
縄文時代から宝貝(子安貝)を沖縄など南海の島々
から採集し、殷や周の国と交易したのは隼人だった。
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最古のお金だった子安貝(キイロタカラガイ)
が、遺物としてもっとも大量に出土したのは
燕や斉の国があった山東半島という。けれども、
それらの国で流通したのは明刀銭で宝貝ではない。

つまり、それはどういうことなのだろうか。
思うに山東半島で出土した宝貝は、燕や斉の国
の人々が隼人の宝貝交易に携わっており、そこが
経由基地だったことを示しているかもしれない。
斉が「倭」なら当然の協調関係ではないかと。

※斉の国こそは本来の「倭」なのではないか
過去ログに書いたことがあった。


宝貝と漢代の貯貝器。
江上波夫著『東アジア文明の源流』より。
この写真は「琉球産の宝貝」でも拝借した

南島の瀬織津姫〈32〉徐福と稲作_a0300530_16053343.png




そんなこんなで迎えたお正月。
池橋宏著『稲作渡来民』を再読してみて、
「基地としての山東半島」の章に目が止まる。

このところブログに書いている徐福の故国・
斉の瑯邪台の麓には良港があり、水田稲作の拠点
があったと氏は推察する。長江流域で呉越の民が
  育んだ水田稲作の北限が山東半島だったようだと。


いまも始皇帝と謁見する徐福の像がある山東省
の瑯邪台風景区(Trip.comサイトより拝借)
南島の瀬織津姫〈32〉徐福と稲作_a0300530_09421973.jpg







徐福の故郷は米どころだった。
秦の始皇帝はその瑯邪台を訪れて(BC210年)
徐福に会い、童男童女数千人を伴い蓬莱の国へ
行き、不老不死の仙薬を求めて帰るよう命じた。

さらに始皇帝は、百工(技術者)や五穀を徐福
に持たせたというが、五穀のうちの「稲」は
陸稲の種籾だったのか、水稲のものだったのか?
 沖縄の徐福伝承からなら読み解くことができる。

皆さま、本年もよろしくお願いいたします。



by utoutou | 2026-01-11 23:36 | 最終章 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2026-01-08 10:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2026-01-11 10:20
> 晶子さん
コメントありがとうございます。
大城清太さんの個展には何度かお邪魔したことがあります。精密な点描画を見ていると、人間の心身の深淵な部分を見せられているような気になりますね。お祖母様が糸満の神人でいらしたそうですが、清太さんも霊性の高い方のようにお見受けしました。
本年もよろしくお願いいたします。
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