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南島の瀬織津姫〈34〉徐福と斎場御嶽

琉球王府の正史『中山世鑑』(1650年)の中
で「稲作の発祥」を記したくだりはこうだった。
〜 アマミキヨが天に上がり、五穀の種子を
乞うて、麦・粟・黍・豆を久高島に蒔き、
稲は知念大川の後ろ、また受水走水に植えた〜

知念城跡から西へ約100mに位置する「知念大川
(ちねんうっかー)」の後背地には、現在も大川の
水源と、「ウファカル」と呼ばれてきた水田がある
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ミントン(明東)グスクの伝承では、ウファカルの稲
は徐福が運んできたという。つまり、この知念一帯が
琉球の稲作発祥の地として、受水走水と並び称される
のは、徐福にゆかりがある土地からだと考えられる。

※画像は、オキログさまサイトから拝借
南島の瀬織津姫〈34〉徐福と斎場御嶽_a0300530_07101399.png








知念城跡に立つガイドマップ↓その西端に知念大川、
山道を登るとウファカルと知念按司の墓がある。
知念城は、この地を治めた知念按司代々の居城と
伝わる。墓前に立つと度肝を抜かされる大きさだ。
訪れたのは、確か8年前ぐらいの春だったと思う。
が、写真が見つからない。次回また訪れたい…
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徐福と言えば、斎場御嶽の三庫理(さんぐーい)
がある巨岩は、徐福の異名・明東天孫氏にちなみ、
「明東の御前(めぇ)」と呼ばれたと、語り部。
この戦前までミントン家が管理する御嶽だったと。
ちなみに、ミントングスクからの距離は直線で6㎞
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三角の空間で有名な洞門・三庫理に続く↓巨岩。
琉球王府時代には、雨乞い神事などが行われた
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斎場御嶽について、語り部に訊ねたことがある。
「斎場御嶽の〝斎〟は斎(せい)の国ことですか?」
と。徐福がアマミキヨなら故国・斎の名を冠する
御嶽が、琉球での至高の聖地となるはずだ。

語り部は間髪入れずに言ったものだ。
「そうですよ。斎の国にとっては太陽の昇る東に
位置する、最高の聖地だったと思います」
にわかには信じられなかったが、私に聞いた。
「知念玉城の台地を徐福は目指して渡来したと?」
「はい、そうだと思います」

それなら、知念大川や受水走水を含む聖地を順拝
した琉球王府の神事・東廻り(あがりうまーい)
 に、ミントングスクが含まれたのは当然のことか。




by utoutou | 2026-01-24 20:38 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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