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南島の瀬織津姫〈35〉徐福伝承まとめ

斎場御嶽や徐福について、またミントングスク
について、語り部から話を聞き取ったとき
(2009年)のメモが出てきた。時を経て読み
返すと、徐福の渡来で始まったというミントン
グスクの秘伝が、一層、真に迫ってくるようだ。

語り部は、このように語っていた。

〈斎場御嶽〉
斎場御嶽は読んで字のごとく斎場です。沖縄で
一番の祈りの場とか最高のエネルギーと言われる
けれども、私はあまり好きではないです。ただ、
三庫理(さんぐーい)に続く岩の上・チョウノハナ
は別。世界遺産になる以前には巨岩に登れたので、
360度グルーっと見渡せる景色を眺めたものです。

巨石から下がるチイタイイシ(鍾乳石、吉凶を占う)
はミントンの授かりで、「ミントンガナシー」
「ミントンの御前(うめい)」と崇められました。
「ここがなければ、斎場御嶽ではない」と、
ミントン門中の神女おばあたちは伝えたものです。
「ここは昔、ミントンガナシーと言ったんだよ」と、
神人だった城間のおじいさんからも聞きました。

〈徐福の渡来で明東に〉
ミントンガナシー(明東加那志)は中国から渡来
した一団。徐福というと知らない人も多いですが、
ウチナーンチュは、「南国福禄寿のおじいさん」なら
知っている。その福禄寿が残したものは、五穀の種、
石の細工、鉄。玉城グスクの一の郭をくり抜いた
のは徐福一団の石工だったかもしれません。道教の
方士・徐福は夏至冬至の朝日ラインを重んじました。

豚・馬・羊などを持ち込んだのも、徐福一団です。
いわゆる縄文の時代…それまでは人が亡くなると、
霊力を継ぐために、その肉を食べていたそうです。
そこで徐福は「これからは葬りなさい。その代わり、
豚や羊を潰して食べなさい」と教えたと伝わります。

玉城のイリの御嶽は「赤肉のお墓」と呼ばれました。
その中の「竹山(だきやま)のアジシー(古墓)」に、
最後に赤肉を食べた人を葬ってあるということです。
「香座(かじゃ)する仲」とは親戚を表す方言ですが、
香座とは、焼けた匂いを一緒に嗅ぐという意味です。


アマミキヨ(徐福)渡来地・百名のヤハラヅカサ
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〈ミントンは寅の盤〉
盤とは授かるという意味。ミントンからの寅の方向
(東北東)は久高島。そして寅の刻とは午前4時ごろ。
日が昇る前の刻を意味します。ミントン家は太陽の
盤(司祭)ですから、代々の当主はその刻に斎戒沐浴
して祈り、その妻となる条件は「寅年の女」でした。


ミントングスク(南城市玉城仲村渠)
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〈明東按司加那志〉
ミントングスク内の「火の神」の奥に祀られるのは
百名大主(ひゃくな・うふしゅ)ですが、明東按司
加那志とも呼ばれました。ミントンを興された方の
 子孫が、三山分立の時代に大主になられたわけです。

百名大主は争いを嫌う方だったといい、攻めて来る
者にすべての武器を差し出したと伝わっています。
医術にも長け、病を癒される方でもあったようです。
(談話メモ、ここまで)


「太陽の道と貝の道」と題して当ブログの第1回目
を始めたのは、2013年の初夏だった。そのときは
既に語り部から、徐福に関する伝承を聞いていた。
 
いっぽう、語り部に伝えた門中の神人・神女たちは、
自らの子どもたちには何も語り継がなかったという。
少年だった語り部にも、「他言するな」と言った。
その真意は、薩摩世、ヤマト世、アメリカ世と変転
 した、島々に生きるウチナーンチュの親心だったか。

それでも、神女のウメおばあはよく言っていた。
「ミントンの歴史が知られるときはいつか来る。
太陽は明るい東からしか昇らないから」
ミントンの神女とは古来、陽を祀る姫だった。


夏至の朝、玉城グスク一の郭から望む東北東
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by utoutou | 2026-01-28 17:29 | 最終章 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2026-01-30 18:31
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2026-02-01 05:43
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