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縄文アマミキヨ 〈2〉東の御嶽へ

東(あがり)の御嶽へは何年ぶりになるだろうか。
10年以上は経っている。あのとき案内してくれた
語り部は都合が悪く、今回は同行を頼めなかった。

 代わりに、知人がゴルフ場のフロントで許可を得て
 くれた。車に再び乗り込んで移動中、玉城城を探す。
彼が「そこにグスクが見えますよ」と、指差した
その先に城壁の石積みが、そして一の郭の丸い門へ
登る木製階段が埋もれるように、かすかに見える。

ということは、眼前に広がるグリーンに、かつて
(今次の戦争前)は玉城一区の集落があったわけだ。
いつもは一の郭から見下ろしていた、その逆構図。
私たちは文字通り、「東」へ向かって移動していた
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やがて車は停まったが、しばらく車の外で待機する。
知人は、ゴルファーがいま打ったボールの行方を
目で追い安全を確かめると、「はい、行きますよ」
と言って小走りにコースを横切り、御嶽へと向かった。
その背中を追いながら、太平洋の方向をスマホで撮る↓
縄文アマミキヨ 〈2〉東の御嶽へ_a0300530_20110306.jpeg








東の御嶽は古から「垣花の御嶽」とも呼ばれた。
神名は『琉球国由来記』(1703年)によれば、
「アフイハナ・テルツカサ・ノ・オイベ」。
アフイハナとは葵の花の琉球方言とも言われる。
語り部は、「賀茂氏の葵紋を連想する」と語った。
偶然の一致かも知れないが、とにかくこの高台には、
まだ整理されていない古代の記憶が沈んでいるようだ。

またこの地は戦後、CSG基地建設のため乗り込んだ
ブルドーザーを神女おばあが念力で飛ばしたという、
伝説の舞台。そうして残ったのが、東の御嶽である
縄文アマミキヨ 〈2〉東の御嶽へ_a0300530_07102159.jpeg








30畳ほどの広さに丸く開けた空間は古の祭祀場か。
4月半ば、清明祭に向けて掃除をしたばかりという。
ふと思い、スマホのコンパス・アプリを立ち上げた。

北緯26°8'46" 東経127°47'9"
南城市、沖縄県
高度170m

表示された高度には驚いた。琉球ゴルフ俱楽部の
コースの標高は130〜160m前後と言われているが、
それより10mも高いとは。御嶽に足を踏み入れて
から、緩やかな勾配が続くと感じてはいたけれども。
玉城台地の最高地点に神を祀ったのが、東の御嶽か?
ちなみに、玉城城の標高は180mとされる。

さて、目指す「ミルクの墓」はこの先。つづく…
縄文アマミキヨ 〈2〉東の御嶽へ_a0300530_07171569.jpeg

※東の御嶽(垣花の御嶽)の過去ログはこちら








by utoutou | 2026-05-22 14:49 | 第二章 | Trackback | Comments(0)
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