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縄文アマミキヨ〈7〉ふたたび垣花の御嶽

台風7号の接近で、今月の沖縄旅をキャンセルした。
東(あがり)の御嶽への再訪を期待していたが…。
改めてその御嶽に関して書いておきたいことがある。

実は、東の御嶽は、
この第二章を始めた原点といっても過言ではない。
語り部から、その由緒についての伝承を聞いたのは
かなり以前のことだが、ブログに書かずにきたことが
 心残りだった。米軍接収の話を書いたブログはこちら

東の御嶽は、正式名称を「垣花の御嶽」という。
ゴルフ場の中にあり、戦後は所縁の人しか参らない
 一般には忘れられた御嶽となったが、成立時期は古い。

琉球王府の編纂による『琉球国由来記』(1713年)
と『琉球国旧記』(1731年)のいずれの地誌にも
「垣花之嶽 神名 アフイハナテルツカサノ御イベ」
が「玉城村」にあると記録されているのがそれだ
縄文アマミキヨ〈7〉ふたたび垣花の御嶽_a0300530_16365936.jpeg








4月に訪れたとき、東の御嶽こと
垣花の御嶽(↓コース図上に書いた楕円赤丸)の高度は
170mと知った。※図は琉球ゴルフ倶楽部から拝借

あの日、東の御嶽に最寄りのグスクロードをひとり
東から車で走り、道端(↓道路脇に書いた赤丸)の標識
に気がついた。「大雨の時は冠水に注意」という内容。
ゴルフ場の最高地・東の御嶽は分水嶺でもあるらしい。

↓AIによる周辺地図とコース図のオーバーレイ。その
標識の周辺から南は急勾配で、頻繁に冠水すると聞く。


いっぽう、琉球王朝時代には、海岸の藪札の御嶽から
近くのミントングスク(※地図に書いた青丸)まで、
急坂を登る「ノロの籠道」があった。いまはなきその
古道(参道)は、海から山へと登る最短コースだった
縄文アマミキヨ〈7〉ふたたび垣花の御嶽_a0300530_08000910.jpg










語り部は「東の御嶽は最古の聖地だろう」と言う。
ミントングスクや玉城城は、むしろ新しい旧跡だと。

では「垣花」とは、どんな意味なのか。これも以前、
語り部に聞いたが「神の瑞垣」という意味らしい。
神女たちは、垣花の御嶽を「うさち・ようどれ」と
呼び、海浜にある藪札の御嶽から遥拝したという。
うさち(御先)とは紀元前、ようどれは王陵の意味。

神女たちはなぜ、その王陵を海側から遥拝したのか。
そして、そもそも被葬者である王とは誰なのか。

海中のヤハラヅカサはアマミキヨ渡来地と伝わるが、
そこは長い船旅の終着点でありながら、垣花の御嶽
へと急坂を登る、陸の始発点だった可能性がある。

ヤハラヅカサ〜藪札の御嶽〜ミントングスク〜垣花。
玉城の聖地は点ではなく、線であり、道である。
地形を考えれば、その祭祀空間はさらに広大で無辺だ
縄文アマミキヨ〈7〉ふたたび垣花の御嶽_a0300530_02333384.jpg














by utoutou | 2026-06-27 17:21 | 第二章 | Trackback | Comments(0)
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