2018年 10月 12日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 191 丹生都比売に繋がる

神功皇后が三韓遠征の後、弥都波能売神を祀った
という敏馬神社(神戸市灘区岩屋中町)。その
水神の住処だったという三草山(大阪府豊能郡)。
そして、三草山の北麓に坐すのは、
岐尼(きね)神社(大阪府豊能郡能勢町森上)。
とくれば、もはや神功伝承を持つ神社と言えるか。

祭神は、由緒書によれば、
天孫瓊々杵尊、中臣氏の祖神・天児屋根命、
大名草彦の子・枳根命(きねのみこと)・源満仲。

やはり祭神にも、神功皇后に所縁の名が浮かぶ。
名草とは、神功に同行して三韓遠征に出兵した
安曇と同族だった。(以下、過去記事のコピペ)
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安曇氏、名草氏について、『住吉大社』
(住吉大社編)は、次のように記す(要約)。

☆安曇はアマ(海)ツ(の)ミ(神)で海神の意味。
☆応仁天皇の時代から、淡路島や難波にもいた。
☆本拠は筑前国粕屋郡安曇で、志賀海神社の社家。
☆『日本書紀』神功皇后の朝鮮出兵の条にある
〜磯鹿の海人名草を遣わして視しむ〜の「名草」
とは、志賀海神社の安曇氏に関係する海人の一人。

名草の名前は、『住吉大社神代記』にも見える。
〜然して、新羅国を服え給い、三宅を定め、亦、
大神の社を定めつ奉つる…祝(はふり)は
志加乃奈具佐(しかのなぐさ)なり〜

神功の新羅出兵に志賀の名草氏(安曇氏)が
従軍したことは、どうやら間違いなさそうだ。

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岐尼(きね)神社の拝殿横に左三つ巴紋が見えた。
安曇の本拠・志賀海神社(福岡県)の神紋と同じ。
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志賀海神社へは2年半前に参ったのだったが、
神紋の画像が見当たらず ↓ HPから拝借した。
左三つ巴は、宇佐八幡宮の神紋でもある。
さらに言えば、琉球王家の神紋でもある。
琉球の稲作の祖「天祖(あます)のアマミツ
は安曇族という語り部の意見は、何度か書いた。
むしろ安曇磯良その人なのだろうという見立ても。
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さて、その大名草彦命は、どのような神なのか。
「紀伊国の第五代国造」と伝わるいっぽう、
ズバリ高野大明神だとする神社伝説もある。
弘法大師・空海が高野山に金剛峰寺を建立した際、
神領を貸してくれたのが、高野大明神との伝承も。
つまり、地主神・大名草彦命は紀伊国に帰順したか。


大名草彦命を祀るのは、和歌山市の南に鎮座する
田殿丹生神社(たどのにゅうじんじゃ)。
こちらの神紋も左三つ巴だ。(※HPから借用)
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田殿丹生神社には、驚くべき来歴が残されている。

【祭神】
丹生都比売命(丹生大明神)天照大神の御妹神
大名草彦命(高野大明神)丹生大明神の御子神

【由緒】
当社の主祭神である丹生都比売は、この神地、
夏瀬の森へ御神幸になり、ここを中心として水銀
の開発にお力を尽くされ、農業を創始されました。
神功皇后や応神天皇は深く大神を御尊敬…(攻略)

大名草彦命は、丹生都比売命の御子神。そして
水銀の開発…。水銀とは丹生(古代の朱)のこと。
名草族とは、丹生族でもあったのである。

これで、いくつかの謎が解けたという気がする。
まず、大名草彦の子・枳根命の神名である。
何ゆえ、「枳根(きね)」という難字なのか?

枳とは、カラタチ。みかん科の木。そして、
「南橘枳北」という古い中国の故事にあるように、
橘を違う土地に植えた場合は、味の違う枳となる…
つまり、枳の元は、江南地方に生えていた橘だった。
丹生族は江南地方から渡来した「枳の根」の人々か。
江南地方の杭州は、古来、水銀の産地だった。


ふたつ目の謎は、神功皇后にまつわる古伝である。
『播磨国風土記』によれば、神功は三韓遠征の折、
軍船と、その舳先に立てた逆鉾に朱を塗り、また
兵士たちの服を朱く染めた。そして、戦勝・凱旋、
丹生都姫を紀伊国の菅川の藤代の峰に祀ったという。

冒頭に書いた敏馬神社の由緒を思い出す。
神功皇后が敏馬浦に祀った弥都波能売神とは、
水神に変えられた丹生都比売のことではなかったか…。
そして、最古の瀬織津姫であり、豊受姫とも呼ばれた。


三草山を背に、北に鎮座する枳尼神社の方向を見る。
水田の黄金色と曼珠沙華の朱が美しい(9/23撮影)。
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by utoutou | 2018-10-12 14:10 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(5)