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六甲山と瀬織津姫 193 豊受…最古の女神

比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ、京丹後市
 峰山町)に関連して、語り部に聞いたことがあった。
「豊宇可及売神(とようかのめのかみ、豊受姫)
と、丹生都姫、弥都波能売神とは同神ですか?」

すると、すぐに答えが返ってきた。
「それぞれ祀られた時代が違うように視えます…」
その時代は一体どう違うのか、私なりに考えてみた。
 

比沼麻奈為神社には、2年前に参った。
籠神社付近からレンタカーを借りて丹後半島を周った日、
日本海側の竹野神社から平野を南下、30分で着いた。
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さて、姫たちの時代。
まず、縄文の月神(豊宇賀売姫)を祀る一族は、
どうやら、この国の最古の産鉄族であるらしい。

比治山に近い扇谷遺跡(京丹後市峰山町)からは、
砂鉄でつくった地金を鍛造する際に生じた鉄滓や、
鉄斧が発掘されており、弥生前期末から中期にかけ、
 ここが砂鉄による産鉄地だったことを示している。
砂鉄による産鉄は5世紀以からと言われるが、この地
ではいち早くそれが行われていたことが分かる。

 すると、この地に祀られた豊宇賀売命(豊受姫)は、
月の力を借りて稲種を育て、酒を造り、また農耕
 のための農具をつくる産鉄民の守護神だったのだろう。

比治山の麓に坐す藤社神社には和奈佐夫婦が祀られるが、
「ワナサは鋳土沙(いなさ)の転化」といった説もある。
また、摂社の祭神には、天一箇目神も祀られている。
藤の字のつく神社名は、砂鉄の製鉄が行われていた証。
古代は産鉄材の砂鉄を掬う道具は藤ザルを使った。

丹後の古代史家・小牧進三氏によれば、
比治山を源流とする諸河川では砂鉄がよく採れ、
 鉄穴流しのタタラ跡が、数多く遺っているという。



やはり、豊受姫(豊受大神)の足跡は「鉄の道」
であり、天女伝説もその物語ということになるか。
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さて、豊受大神の伊勢外宮への鎮座は、新しい産鉄
  技術の導入と無縁ではないと、真弓常忠氏は記した。
外宮への遷座は雄略天皇の22年というから、確かに
天日槍など帰化系の技術者(韓鍛治)によって
 新産鉄がもたらされた4〜5世紀と、時代は重なる。

 逆に言えば、
伊勢でもスズ鉄による旧式の産鉄は行われており、
 丹波は半島の新技術が伝来するゲートウェイだった。
 縄文の神であり月神である豊受姫を崇めた人々は、
帰化した技術者たちと共に伊勢へ移動したのだろう。



 話は変わるが、豊受大神の座す伊勢外宮に隣接する
 豊川茜稲荷神社の「茜」は、赤土の意味という。
 産鉄と赤土(朱砂)は切っても切れない関係にある。
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 そう言えば、比沼麻奈井為神社でも赤土を思わせる
光景を見た。拝殿の前から鳥居と立砂を見下ろした
 とき、木肌が赤みがかっていたのを不思議に感じた。
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  最古の産鉄材料だった瑞穂に生るスズ鉄(褐鉄鉱)、
 またその次に古い産鉄材の砂鉄などの酸化鉄につく
  赤サビは、焼くと赤色顔料・ベンガラになった。
  縄文土器に見られる赤色は、これを使ったという。
  ちなみに酸化鉄を炭でさらに焼けば、鉄材となった。

 古代製鉄が行われていた土地では、ベンガラの
 赤色が土壌に染み込んだ結果、赤土となったようだ。
思えば、和邇下神社(奈良県天理市)の境内の
 木々も赤色をしていたが、すぐ近くに赤土山古墳がある。

ところで、松田壽男氏はその著書

『古代の朱』に「朱」の種類について記している。

(以下要約)


☆原始日本人が使ったアカは、まず鉄系(ベンガラ、
赭=そほ)、後に水銀系(真赭=まほそ)がある。
☆前者は暗赤色、後者はミカン色に近い朱色。
☆後者は、朱砂、辰砂、丹砂とも呼ばれる。
☆朱砂は、水銀と硫黄の化合物である。
☆朱の代用として、鉛系のアカ(黄丹)も使った。

この「古代の朱」で紐解けば、豊宇賀売命と、
丹生都姫、弥都波能売神の年代順が分かるはずだ。
なぜなら豊受姫は「ベンガラの女神」だったと言える。
いっぽう、丹生都姫は「水銀の女神」だった。
つづく…。




by utoutou | 2018-11-06 13:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 192 邇々杵命の降臨

TBS系で夕方放送の番組『Nスタ』が、いまが旬の
マコモダケを特集していて、目が釘付けになった。
 マコモの茎が肥大して、食用になるのがマコモダケ。

「幻の味」「中華料理店でも」といった調理法から、
「古事記に登場」「無病息災・五穀豊穣」「注連縄に」
「酒樽に」「お歯黒・眉墨に」「盆座布団に」、そして、
「全国マコモサミット開催」など、見どころ満載で…。
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古事記のくだりは聞き逃したが、
天地開闢について解説されていたに違いない。

〜 天地がおこったとき、高天原に成った神は、
天之御中主神、次に高皇産巣日の神、神産巣日の神。
まだ国が稚く油かクラゲのように漂っているとき、
次に葦牙のごとく萌え上がるように出た神の名は、
ウマシアシカビヒコヂの神(美しい葦牙の独神)、
次に天之常立の神。この五柱は別天つ神である〜

1億年前から東南アジアに自生していたという
 イネ科の多年草・真菰(マコモ)とは、まさしく
葦牙(あしかび)のこと。「豊葦原の瑞穂の国」
とは、葦牙や茅など瑞穂の豊かに繁る様子を表して
 おり天地開闢そのものだった。(豊葦原の瑞穂の
 茎に成ったスズ鉄の農具で稲作を進めたと考える)

そう言えば、お釈迦さまが病人を治療したのも、
 マコモで編んだ筵の上だったというから薬効も高い。
調べると、ネイティブ・インディアンは、
「ワイルドライス」として、いまも食用にすると
いうから、アメリカンのマコモも自生していた…。


マコモダケのニュースを見ながら思い返したのは、
岐尼神社(大阪府能勢郡豊能町)の祭神と由緒だ。
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主祭神・天孫・邇々杵命について、こう記す。
〜邇々杵命といえば天孫降臨の神話にある神である
が、ここにも天孫降臨の説話がある。すなわち、
岐尼神(きねのかみ=邇々杵命)が南の小丘に
降臨し給うたとき、土民は臼の上に杵を渡し、
荒菰を敷いて迎えたという。
「杵」「杵尊」のひびきは社名の起因と考えられる〜
ちなみに、合祀されている祭神は、天児屋根命、
大名草彦の子・枳根命、源満仲という。
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祭神に見える「名草」を謎解きの糸口にしたい。
ヤマト神話は、天孫・邇々杵命は、天照大神の命
によって、高天原の岩の神座から離れて、筑紫
の日向(宮崎県)に天降ったと伝えるが、思えば
その地名は、志賀海神社にも伝わっていたのだった。

言うまでもなく、志賀海神社(福岡市)は安曇族
の故郷。そして、ここ岐尼神社の神名に見える
名草の一族は安曇と同族であり、さらに言えば、
 琉球の始祖・アマミキヨの末裔も安曇族に繋がる。

は安曇磯良と同魂だと、語り部は常々言っている。

以前のブログ「シロミキヨの高天原」に、
いまは亡き神女の語る古伝承を書いたことがある。

曰く、
「琉球稲作発祥の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
の上の巨岩・タカマシカマノ御嶽は、御先(うさち)
から高天原と呼ばれ、瓊々杵尊が降臨したという」
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琉球、筑紫、そして北摂津…と、各地に残された
記紀とは異なる天孫降臨伝承は、何を意味するのか。
ここ北摂津から繋がる丹後の元伊勢・比沼麻奈為神社
(京丹後市峰山町の豊受宮)も邇々杵命を祀っている。

そこで想像するのはマコモ文化圏(?)の存在だ。
岐尼神社の由緒は、土民が臼に杵を渡して荒菰を
敷いて神を迎えたというが、土民とは誰のことか。
なぜ土民に、マコモを神座とする風習があったのか。

契丹古伝は、「殷とは倭国であった」と記した。
ユーラシア大陸と日本列島に共通の倭人がいたと。
彼らは古代王朝「東大東族(シウカラ)」の民。
天孫氏の末裔という神女のウメおばあが語った
天孫氏王朝17802年」を、改めてかみしめている。










































by utoutou | 2018-10-22 16:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)

六甲山と瀬織津姫 191 丹生都比売に繋がる

神功皇后が三韓遠征の後、弥都波能売神を祀った
という敏馬神社(神戸市灘区岩屋中町)。その
水神の住処だったという三草山(大阪府豊能郡)。
そして、三草山の北麓に坐すのは、
岐尼(きね)神社(大阪府豊能郡能勢町森上)。
とくれば、もはや神功伝承を持つ神社と言えるか。

祭神は、由緒書によれば、
天孫瓊々杵尊、中臣氏の祖神・天児屋根命、
大名草彦の子・枳根命(きねのみこと)・源満仲。

やはり祭神にも、神功皇后に所縁の名が浮かぶ。
名草とは、神功に同行して三韓遠征に出兵した
安曇と同族だった。(以下、過去記事のコピペ)
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安曇氏、名草氏について、『住吉大社』
(住吉大社編)は、次のように記す(要約)。

☆安曇はアマ(海)ツ(の)ミ(神)で海神の意味。
☆応仁天皇の時代から、淡路島や難波にもいた。
☆本拠は筑前国粕屋郡安曇で、志賀海神社の社家。
☆『日本書紀』神功皇后の朝鮮出兵の条にある
〜磯鹿の海人名草を遣わして視しむ〜の「名草」
とは、志賀海神社の安曇氏に関係する海人の一人。

名草の名前は、『住吉大社神代記』にも見える。
〜然して、新羅国を服え給い、三宅を定め、亦、
大神の社を定めつ奉つる…祝(はふり)は
志加乃奈具佐(しかのなぐさ)なり〜

神功の新羅出兵に志賀の名草氏(安曇氏)が
従軍したことは、どうやら間違いなさそうだ。

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岐尼(きね)神社の拝殿横に左三つ巴紋が見えた。
安曇の本拠・志賀海神社(福岡県)の神紋と同じ。
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志賀海神社へは2年半前に参ったのだったが、
神紋の画像が見当たらず ↓ HPから拝借した。
左三つ巴は、宇佐八幡宮の神紋でもある。
さらに言えば、琉球王家の神紋でもある。
琉球の稲作の祖「天祖(あます)のアマミツ
は安曇族という語り部の意見は、何度か書いた。
むしろ安曇磯良その人なのだろうという見立ても。
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さて、その大名草彦命は、どのような神なのか。
「紀伊国の第五代国造」と伝わるいっぽう、
ズバリ高野大明神だとする神社伝説もある。
弘法大師・空海が高野山に金剛峰寺を建立した際、
神領を貸してくれたのが、高野大明神との伝承も。
つまり、地主神・大名草彦命は紀伊国に帰順したか。


大名草彦命を祀るのは、和歌山市の南に鎮座する
田殿丹生神社(たどのにゅうじんじゃ)。
こちらの神紋も左三つ巴だ。(※HPから借用)
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田殿丹生神社には、驚くべき来歴が残されている。

【祭神】
丹生都比売命(丹生大明神)天照大神の御妹神
大名草彦命(高野大明神)丹生大明神の御子神

【由緒】
当社の主祭神である丹生都比売は、この神地、
夏瀬の森へ御神幸になり、ここを中心として水銀
の開発にお力を尽くされ、農業を創始されました。
神功皇后や応神天皇は深く大神を御尊敬…(攻略)

大名草彦命は、丹生都比売命の御子神。そして
水銀の開発…。水銀とは丹生(古代の朱)のこと。
名草族とは、丹生族でもあったのである。

これで、いくつかの謎が解けたという気がする。
まず、大名草彦の子・枳根命の神名である。
何ゆえ、「枳根(きね)」という難字なのか?

枳とは、カラタチ。みかん科の木。そして、
「南橘枳北」という古い中国の故事にあるように、
橘を違う土地に植えた場合は、味の違う枳となる…
つまり、枳の元は、江南地方に生えていた橘だった。
丹生族は江南地方から渡来した「枳の根」の人々か。
江南地方の杭州は、古来、水銀の産地だった。


ふたつ目の謎は、神功皇后にまつわる古伝である。
『播磨国風土記』によれば、神功は三韓遠征の折、
軍船と、その舳先に立てた逆鉾に朱を塗り、また
兵士たちの服を朱く染めた。そして、戦勝・凱旋、
丹生都姫を紀伊国の菅川の藤代の峰に祀ったという。

冒頭に書いた敏馬神社の由緒を思い出す。
神功皇后が敏馬浦に祀った弥都波能売神とは、
水神に変えられた丹生都比売のことではなかったか…。
そして、最古の瀬織津姫であり、豊受姫とも呼ばれた。


三草山を背に、北に鎮座する枳尼神社の方向を見る。
水田の黄金色と曼珠沙華の朱が美しい(9/23撮影)。
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by utoutou | 2018-10-12 14:10 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(5)

六甲山と瀬織津姫 190 美奴売の神は豊受姫

三草山の古名は美奴売(みぬめ)山だったという。
敏馬神社のいわゆるルーツがここにある。

美奴売山に住む龍神は「美奴売の神」と呼ばれた。
水の神=弥都波能売神=月の神。豊受姫でもある。
美奴売神を祀っていた「龍女」とは、一説に、いまも
岐尼神社(大阪府豊能郡能勢町森上)に祀られる
 枳根命(きねのみこと)だと伝承されている。

岐尼神社へは、三草山の山麓を目指す前に参拝。
能勢電鉄の山下駅からバスで20分、車窓から、
「大阪府のてっぺん豊能町」という幟旗を何度か
目にしつつ、森上で降車。徒歩3分ほどで神社着。


どれだけ古いのかと思わせる鳥居の柱裏には、 
右「延享元年」、左「九月氏子中」と見えている。
つまり、274年前(1744年)に建立された鳥居か…。
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由緒ある延喜式内社も、府道602号線沿いに鎮座。
神社前の道路を車が行き交う。拝殿前からの眺め。
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岐尼神社は、
由緒書きによれば、創建が782年(以下要約)。
☆祭神 天孫瓊々杵尊、中臣氏の祖神・天児屋根命、
大名草命の子・枳根命、そして源満仲。 
☆瓊々杵尊と言えば、天孫降臨の神話にある神だが、
ここにも天孫降臨の説話がある。亦の名は杵大明神。
☆岐尼神が南の小丘に降臨したとき、土民は臼の上
に杵を渡し、荒菰を敷いて迎えたという。
☆その神が天降った山は、天神山と呼ばれている。
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「天孫降臨」「土民」「臼と杵」「荒菰」…。
そこから窺い知れることは、少なくとも大和神話とは
異なる説話がこの地には残っており、先住民と渡来民
とが無理なく融合したことを物語っているようだ。

ひょっとすると、もともと同族だった人々なのか?
臼杵と荒菰(茅を編んだ簾)を使っての歓迎ぶりから
は、いずれも産鉄稲作民だったことが窺われる。

語り部が、常々言っていたことが思い出される。
「この国の神々には、国津神と天津神だけではなく、
  元津神がいたことは、隠されていると思います。
   それが本当の海(天)族、アマミキヨ族ではないか」  


さて、創祀当初の主祭神だったという
大名草命の子・枳根命は「美奴売の神」を祀った。

大名草命は紀氏の祖とされる天道根命五世孫で、
武内宿禰の二代先祖ということらしいが、ならば
神功皇后と美奴売神の関係も、次第に明らかになる。

神功三韓遠征のための船は美奴売山の木で造った。
 また凱旋した後、その女神は敏馬浦に祀られた。
女神(月神)とは、神功の審神者(さにわ)だった
武内宿禰の母系の始祖神でもあった。

名草氏と武内宿禰の系譜は、以前こちらにも書いた。
名草とは、日前国懸神社(和歌山市)の鎮座地の
旧地名だが、その名は古来「奈具佐」とも記された。
奈具佐は安曇と同族で、三韓遠征の随行して活躍した。

また「名草」は「菜草」とも考えられ、それは
「豊葦原の瑞穂の国」と謳われた瑞穂(葦や茅)の
  ことだと真弓常忠氏は『古代の鉄と神々』に記した。
 紛れもなく、名草一族はスズ鉄の産鉄族だった。

『摂津国風土記』逸文を改めて思い出す。
〜豊宇可(トヨウカ)及売神、常に稲倉山に居まし、
山を以って膳厨(みくりや)となす。
後、事故ありて居ることあたわず、丹後国
比犀乃真奈韋(ひじのまない)に移り行きき」〜


境内に、「神饌田」の石碑が建っている。
やはりこの地は丹後へ移った豊受姫の膳厨だったか。
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神社から府道を100m西へ進むと三草山が見えた。
行きには分からなかったが、帰りにスマホ望遠で撮影。
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by utoutou | 2018-10-05 15:39 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 189 豊受大神は「月の神」

語り部の指摘はいつも唐突だが、今回もまた…。
「豊受大神が祀られている丹後の比沼麻奈為神社
(ひぬまないじんじゃ、京丹後市)のすぐ近くに、
半月のかたちをした田んぼがありませんか?」と。

敏馬神社に祀られる弥都波能売神(みずはのめ)
は、美奴売山(現・三草山)に坐す女神だったと
いった話をしていたときのことだった。

「はぁ、比沼麻奈為神社、半月型の田んぼですか…。
その田んぼが弥都波能売神と関係があるんですね」
「そうだと思います」

神宮皇后によって美奴売山から敏馬神社に勧請
された弥都波能売神と、丹後の豊受大神。二神を
 結ぶヒントが、「月の輪田」ということらしい。

そう言えば、『摂津国風土記』逸文はこう記す。
〜豊宇可(トヨウカ)及売神、常に稲倉山に居まし、
山を以って膳厨(みくりや)となす。
後、事故ありて居ることあたわず、丹後国
比犀乃真奈韋(ひじのまない)に移り行きき」〜


豊宇可及売神(=豊受姫)は、何かしらの
理由があって、丹後に追放された…とも読める。
そして移った先で、月の輪田の守り神になったと。

というところで、「月の輪田」について調べると、
語り部の指摘は、まったく図星だったと分かった。


京丹後市峰山町の保存会が「月の輪田と清水戸」
というサイトを開設していた。昭和41年に撮影
された月の輪田の写真(拝借)を見ても、確かに道路
沿いにある田んぼは、鮮やかな三日月なのだった。
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田んぼの傍にある石碑の銘文は、次のように記す。
〜月の輪田は三日月田とも云い、大昔、豊受大神が
苗代の清水戸に浸した籾をここに蒔き、とれた稲種
を大神に奉ったという遺跡である。〜


このことを早速、語り部に伝えた。
「比沼麻奈為神社の近くに半月形の田んぼが、
確かにありました。月の輪田ともいうらしいです」
「やはり、豊受大神(豊受姫)は月の神でしたか」
「豊受姫を祀った民が、それを暗示して命名したと…?」
「はい、逆に言えば、月の神という神名を奪われた」
「そのため、水の神という神名だけが残ったと…?」
よって、三草山に坐す女神は弥都波能売神だった。


語り部は静かに言った。
「もともと月の神は、地球に降臨して水の神になった。
月の輪田に籾種を浸して発芽を早めたのは、月の力。
月の力は、水を媒介として豊穣をもたらすものです。
お酒もしかりで、月の力で発酵は促進されますね。
だから、豊受大神は御食津神・保食神とも呼ばれた」

次第に、語り部の託宣の意味が理解できてくる。
おそらく、神宮皇后が敏馬神社に祀った水の神は、
実は豊受大神という名の月の女神でもあったか。

また豊受姫は天女であり、かぐや姫に例えられた。
そして、この国の先住民が崇めた縄文の女神だった。
縄文の民が月信仰だった話は、こちらにも書いた。


月の神を祀る民がいたらしい三草山へ。
たまたま大阪に滞在していた先週末に行ってみた。
「大阪のてっぺん」と呼ばれる豊能郡豊能町は、
見渡す限りの美しい水田地帯だった。
能勢電鉄山下駅から1時間に1歩本のバスで20分、
そこから、農道をひとり白鷺?を眺めつつ徒歩30分。
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ようやく、三草山が見えてきた。ぐるりと
稜線が流れる田園風景のなか、一際目立つ丸い山。
六甲の甲山にその姿が似ている。大和の三輪山にも?
龍蛇神を崇める縄文の民は、とぐろを巻いた形のような
様子の山を龍蛇神の神奈備山としたというが、思えば、
縄文人にとって、月と蛇は再生のシンボルだった。
では、先住民の月神を追放したのは誰だったのか…。
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by utoutou | 2018-09-29 07:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)

六甲山と瀬織津姫 188 美奴売(みぬめ)の神

九頭龍弁財天とも思われる美奴売(みぬめ)の神
 は敏馬(みぬめ)神社(神戸市灘区)に祀られている。
亦の名は、弥都波能売神(みずはのめのかみ)。

江戸前期に、素戔嗚尊、天照皇大神、熊野座大神を
「敏馬三座」と記す文書がある。主祭神は交代した。
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阪神線の岩屋駅近く。国道2号線沿いの小丘に鎮座。
古代は敏馬浦と呼ばれ、砂州が造った良港だったという。
神功皇后伝承を持ち、式内社であるのはそのためだ。


敏馬神社略記も、『風土記』のくだりを記す(要約)。
☆美奴売(みぬめ)とは神の名であり、神功皇后の
新羅への出兵に際し、神前松原(阪急神崎川近く)
で戦勝を祈願したときに祀られたが、その神は、
「我が山の杉の木で船を造れば、勝利する」と宣った。
☆皇后が帰還した際、船が動かなくなったので
占うと、「神の御心なり」と出たので、美奴売の神
を祀り、船も献上した。神功皇后摂政元年の創建。 
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境内の摂社・水神社に祀られているのが、
美奴売の神こと弥都波能売神(みずはのめのかみ)。
右手の案内板には、次のように記されている。
〜水神社 御祭神 弥都波能売神
水を司る神で、神社創建時の主祭神と伝承される。
御祭神名より「みぬめ」の名が誕生した 〜
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その右手(海側)には、神功皇后を祀る摂社。
創建時の主祭神と創祀した皇后が並祀されている。
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水神社の後ろに隠れる小宮にイザナギとイザナミが
祀られているが、これまで迂闊にも気づかなかった。
確かに、案内板には「奥の宮」と表記があった。
記紀神話では、
ミズハノメは、イザナギとイザナミから生まれた。

謎めいた祭祀空間だが、神社由緒には、水神とは
「能勢の美奴売山(現在の三草山)の神」とだけ
記されていることが、何やら想像をかきたてる。
三草山は猪名川の源流域にあたるため、イナ…稲…
つまり、稲作と浅からぬ関係にある女神ではないかと。



三草山は、兵庫県猪名川町と、大阪府豊能郡能勢町
との境界に広がる(標高564m)。そう高くない。
↓地図に書き入れた赤丸・右上が三草山、左下が
  敏馬神社の位置。直線距離でも約40㎞離れている。 
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さて、美奴売の神の来歴について思いを巡らせ、
三草山周辺にその手がかりを求めてググっていたとき
その山の北側に鎮座する、ある神社の存在を知った。
岐尼(きね)神社(豊能郡能勢町森上)という。
※地図は能勢電鉄HPより拝借。赤丸は加工。
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岐尼神社。創建は延暦元年(782年)という式内社。
祭神の枳根命(きねのみこと)は、紀氏・大名草命
の末裔で、武内宿禰にも繋がる系譜の巫女だという。
岐尼、枳根…もしや、「きね」とは「杵」と同義なのか?
杵を持って餅をつく「月の兎」を思い起こさせた。

それにしても、巫女を祭神として祀る神社とは。
逆に、巫女の祀る神の大きさが偲ばれるのである。

そう言えば、
『摂津国風土記』逸文に次のようなくだりがある。
〜豊受大神が丹波国に遷座するまでは、摂津国
の稲倉山(場所不明)にいた 〜と。

まさか、美奴売の神とは豊受大神のことなのか…?
地名が豊能郡、「豊」の一致も気になるところだ。

そんな妄想を見透かすように、語り部から電話が。
「豊受大神が祀られる丹後の比沼麻奈為神社
(ひじまないじんじゃ、京丹後市)のすぐ近くに、
半月のかたちをした田んぼがありませんか?」

半月形の田んぼ…。
そこには、とんでもないメッセージが含まれていた。






by utoutou | 2018-09-22 08:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 187 九頭龍弁財天を追う旅

九頭龍大神(弁財天)はその名に一字ある通り龍神。
山中に祀られているのは、ここが海人族の住処
だったことを物語る…と、先週末に長野県阿智村の
阿智神社へ参ったときに改めて感じたものだった。

同じ村内に、阿智神社の前宮と奥宮がある。
いずれも戸隠神社(長野県戸隠)の元宮と伝わる。

新宿から高速バスで4時間弱。私は中央道日野を
午前に発ち、阿智村に最寄りのバス停に13時に着いた。
旅館に荷物を預けタクシーで阿智神社奥宮へ。
14時着。奥宮の境内を(雨ニモメゲズ)散策する。

2泊3日の旅、阿智村から北上して伊那谷を歩く。
イナは為那都比古のイナ、猪名川のイナであり、
新羅からの渡来人・猪名部一族のイナでもある。

イナ族は摂津から伊勢・三河、また近江・美濃から
伊那谷へ。地名に点々と痕跡を残しつつ龍脈を辿った。

最終的に戸隠(長野県戸隠、過去ログはこちら)へ。
一族が祀ったのは九頭龍大神(弁財天)だったかと。
その女神は大和王権の成立と並行して幽閉され、
天照大神が降臨するという天岩戸神話が作られた…。


阿智神社奥宮。祭神は天八意思兼命、天表春命。
向かって左が本殿、右の小丘の上に磐座がある。
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村内に昼神温泉と、阿智神社の前宮と奥宮がある。
旅館やタクシーで、「奥宮ですか??」と言われたが、
地図には載っている。中央上に前宮、左上に奥宮。
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地図を頼りに、温泉街からタクシーで10分ほど、
道路沿いの鳥居近くに古さびた社号碑があった。
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こちらは歌碑のようだ。
「篝薪神楽(かがりびしんがく) 吾道(あち)太神宮」
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読み下し文の説明も、並んで表示されている。
それに向かい、勝手流な解釈なのだけれども、
これで伊那路の旅の目的の半分は果たされたと思う。

八意野(やごころの)吾道大社太神宮…吾道とは阿智。
日霊之火能神(ひるめのほのかみ)…とは、弁財天?
八束之金龍(やつかのわだつみ)…とは、九頭龍?
海人族の神祀りを、そう如実に感じさせる神楽歌だ。
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伊那路への旅についてはまた後日ゆっくり書こうと思う
が、話はいったん六甲山に戻って…。九頭龍弁財天
=瀬織津姫=弥都波能売神(みずはのめのかみ)は、
敏馬(みぬめ)神社(神戸市灘区)の水神社に鎮座。

〜敏馬神社創建時の主祭神〜と説明板に記されている。
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敏馬神社は三韓から凱旋した神宮皇后の創祀という。
皇后が祀った水神は、猪名川の上流に祀られていた。
敏馬の社名ともなった「美奴売(みぬめ)の神」だ。

その神名は『摂津国風土記』に見える。以下要約。
☆神宮皇后は新羅出兵にあたり神前松原(現尼崎市)
で勝利祈願をした際、能勢の美奴売山の神を祀った。
☆帰還した船は、この敏馬の浦で動かなくなった。
☆占うと、美奴売の女神を祀れとの神託があった。

「能勢の美奴売山」とは、猪名川上流の三草山のこと。
戸隠神社のある猪名川町から12㎞ほど北に位置する。
神功の三韓遠征は4世紀後半の事績と考えているが、
当時、イナ国の中心は三草山周辺に移っていたようだ。

























by utoutou | 2018-09-22 08:35 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)

六甲山と瀬織津姫 186 猪名川の九頭龍弁財天

戸隠神社(兵庫県川辺郡猪名川町)へ行こうとして、
というより、猪名川の上流へと遡ろうとして、
阪急能勢駅まで行き、しかし時間が足りないことに
気づいた日、それならと、徒歩5分の能勢電鉄駅から
北極星信仰の聖地・能勢妙見宮へと行き先を変えたが、
⇩着いた妙見口駅で、 今度は妙見山へのロープウェーが、
豪雨で土砂崩れしたため不通と知った。


すべて空振りで、この日の前半を棒に振ったが、
大阪府の最北端駅だという妙見口駅まで行った
ことが、実はちょっとした気づきに繋がった。
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車窓から⇩妙見山に連なる山脈。右(南)は箕面方向。
戸隠神社の鎮座する(兵庫県)川辺郡と、能勢妙見の
ある(大阪府)豊能郡能勢町とは地続きに隣接している。
その北摂の最北の深い山々を超えると、もう丹波。
猪名川の源流でこそ、為那国の神祀りはあったと思う。
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いつか語り部が言ったことがあった。
「為那国は、現在の箕面市の狭い範囲には治らない。
おそらく、チヌの海(大阪湾)を囲み、六甲山周辺
や丹波・丹後・播磨、河内・大和も含んだと思います。
さらにその南の葛城の国も、範囲に入っていたかと。
小さい国々の連合体といったかたちだったのでしょうが」

「葛、あの名産品を作った人々のいた葛城の国栖も…?」
語り部は言った。
「国栖、九頭、国主(くず)とは先住の海人民の集落。
その国々を、弥生中期のBC1世紀ごろに束ねたのが
為那都比古かと。その名は代々継がれたようです」

語り部が為那都比古に龍神・九頭龍大神のイメージ
を視るのは、そんな時代背景をダブらせているからか。
私は聞いた。
「ところで、国栖は吉野の近くですよね。
なら、奥吉野と呼ばれた天川も為那国のうち?」
「そうだと思います」

3年半前を振り返る。
「九頭龍大神①南朝を守護した天川弁財天」を書いたが、
いまは、その前段の歴史時間を辿っているらしい。

 「為那国にも弁財天(瀬織津姫)はいたのですよね」
聞くと、語り部は言った。
 「龍神・九頭龍大神というより、オオヒルメ…
日と火と霊(ひ)の神のことですね」
「なるほど、撞賢木厳之御霊天疎向津姫
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)…」



戸隠神社(猪名川町)は、明治時代に入るまで、
少し離れた山中に九頭龍大神を祀っていたという。
極彩色の本殿は室町時代の造営。国の重要文化材。

ちょうど同じ時期、箕面に住む友人のMさんが
その戸隠神社へ行ってきたと写メを送ってくれた。
本殿には、頭に如意宝珠を戴く龍が描かれている。
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まさに九頭龍大神=九頭龍弁財天と感じられる。
その九頭龍大神について書いたシリーズは↓こちら。

九頭龍大神②弁財天は復活した
九頭龍大神③岩戸に隠れた女神
九頭龍大神④鎌卍の社紋は語る
九頭龍大神⑤弁財天と如意宝珠

九頭龍弁財天は、信州の戸隠へと龍脈を辿ったのか…。









by utoutou | 2018-09-09 16:17 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)

六甲山と瀬織津姫 185 龍神は北上した

大己貴命(おおなむちのみこと)の神格については、
「六甲山と瀬織津姫 130 角のある人の世」で
書いたことも忘れて路頭に迷い、筆が止まっていた。


上古、この箕面を中心地としたらしい為那国に、
 まず先着した渡来の民がアマミキヨ族だったなら、
↓ 為那都比古神社の旧社地300mの北にある御嶽
・医王岩で崇めた神ははたして大己貴命だったろうか? 
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という疑いが、確認する術もなくわだかまっていた。
アナゴノシー・アナゴノファーと呼ばれた久高島の
始祖夫婦(兄妹)が、「天地の大神さま(スサノオ)」
の末裔だろうという語り部の話を前回書いたのだったが、
そこに大己貴命はどう関係し、またどういう神格なのか?

何日かモヤモヤしていたが、再読して少し覚醒した。
ヤマトで語られる大己貴命は、琉球古神道で語られる
君真物(きんまむん)。琉球王朝の祭神でもあった。


うっかり忘れていたその神名は、記事中で
 引用した五穀発祥伝説(久高島由来記)にあった。
〜アナゴノシー・アナゴノファーの夫婦(兄妹)は、
東海岸の ↓ 伊敷浜で波間に漂う白い壺を見た。禊の後、
それを拾うと、中に7種の穀物の種が入っていた。
中森嶽に蒔いたところ、うまく育ち、君真物も出現した 〜
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↓中森嶽は、中の御嶽(中森の御嶽)とも呼ばれる。
久高島の龍宮と密かに伝わる洞穴の最奥部にあたる。
よって、そこに坐す主神・君真物とは龍神なのである。
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語り部は言った。
「大己貴神と聞いて視えるのは、やはり龍神です。
三輪山の巳さん(龍神)・大物主神とも同神です」
※大物主神と君真物については、こちらにも記事が。


大物主と君真物、確かにどちらも物(むん)を含む。
沖縄で物とは霊力、真物(まーむん)とは龍神の霊力。
「物」の一字はまた、物部の「物」にも通じる。
以前、語り部が視た「籠目に編んだ箕(農具)」は、
この地に渡来したアマミキヨ族が、磐船で飛来した
ニギハヤヒ率いる物部だと、暗示していたのだろう。

確かに、為那都比古命と同音を含む猪名部氏は、
物部系とも、新羅からの帰化人とも言われている。
前者が後者と通婚しても、母系なら祖神は変わらない。
医王岩の御嶽で、一族が大己貴神を祀るのはごく自然。
やはり、龍神を崇める為那の一族は列島を北上したか…。

物部の祖神はニギハヤヒだろうと思いがちだが、
因幡国の伊福部氏など、ニギハヤヒ系図の最上位に
大己貴命を記した所伝を遺す一族も存在するという。


「ところで…」と、語り部は言った。
「猪名川の源流に、宇迦之御魂(うかのみたま)が
祀られていた痕跡は、ありませんか?」
「7つの首の蛇ですね、琉球から北上したセーナナー
「はい、琉球の球とはその御魂だったと思います」
「九頭龍大神なら源流の猪名川町に祀られていました」

為那都比古神社に参るため日帰りで箕面に行った日、
まず、兵庫県猪名川町の戸隠神社へ向かった。
あまりの遠さに諦め、Uターンして来たのだったが。
いまは猪名川町の国指定重要文化財となっている。
戸隠神社は、古来、九頭龍大神と呼ばれていた。






by utoutou | 2018-08-31 14:32 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)

六甲山と瀬織津姫 184 大己貴命(おおなむちのみこと)

箕面山(為奈山)山麓に明治時代から鎮座する
為那都比古神社(箕面市石丸)には東西に鳥居がある。

東の鳥居に入る際に目を転じると、長く続く玉垣。
鳥居横の「式内社」と冠した社号碑とあいまって、
広大な境内は、古来の格式と遷移までの歴史を偲ばせる。
さすが神功皇后の如意珠伝説が残る土地柄だと思いつつ、
あのときはまだ伝説の意味までは考えが及ばなかったが。
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境内に続く鎮守の森がどれほど広大であったかは、
『式内社調査報告第5巻』('77年刊行)が記している。
〜【境内地】四百五十一坪。〜(※1490㎡←筆者注)
これで驚いてはいられない。続いての記述では…。

〜明治初年の大阪府豊島郡萱野村白島萱野郷式内社
為那都比古神社「境内実測図」二枚あり。(中略)
計三千六百二十三坪五合四勺とある。〜
換算すると、約11977㎡。現在の十倍近くか。
「イナ国の中央祭祀場だった」とする説もうなずける。


中門から拝殿を望む。境内右に由緒を刻した石碑が。
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逆に、拝殿前から中門を見ると、このような景観。
猛暑日の午後3時、参拝客は誰ひとり現れなかった。
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さて、こちらが、
為那都比古神社に合祀された村社一覧を刻した社記碑。
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そこには、こんな記述がある。
〜国の指導により明治四十年に旧萱野村内に御鎮座の
 次の神社が、この為那都比古神社に合祀されました 〜
 列記された十の神社にヒコとヒメの神社も含まれる。

☆大宮神社(為那都比売大神)白島(※地名)
☆為那神社(猪名津彦大神)稲(※地名)

うち、ヒメを祀る大宮神社が「大婦天王社」と呼ばれた
旧社であり、その300m北に立つ巨岩・医王岩が古来
の御嶽であったことは既に書いたが、祀られていた神は、
『摂津名所図会』によれば、「大己貴命と少彦名神」。
「この二神は医道の祖也」とも。ただし、その祭祀は、
大婦天王社が本尊・薬師如来の大宮寺だった頃の名残り。
本来の御嶽には、もっと原初的な神が祀られていたのでは?
※写真は「ふらっと 箕面さんぽ」より拝借
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 上古の時代、この地の首長で祭主だったと思われる
 為那津比売が大己貴命と少彦名神を崇めていたとして
   も、あくまでも一族の祖神の祀りだったはずである。 

   では、大己貴命とは琉球から渡来した神なのか。 
  そのヒントを、実は語り部は以前から呟いていた。

曰く、
 「猪名川の両岸に広がってこの地に住んだ一族は、
  久高島のアナゴノシー・アナゴノファーと関係がある」
そしてまた、こうも言った。
「吉備に祀られる金山彦神(かなやまひこのかみ)や、
 近江に祀られる天一箇目神(あめのひとつめのかみ)
 とも同神と思える神さまが、ここにも祀られている」

   ヒントを頼りに答えを求めること数日、なんと
  行き着いたのは、自身の過去ログ「角のある人の世」。

結論を言えば、琉球王国時代の地誌に見える、
 阿名呉之子(アナゴノシー)と阿名呉之姥(ファー)
のアナゴとは、「穴子」であり「穴師」であり、
久高島三元家のひとつ・久高家の始祖であり、
古代天孫氏王朝の王と伝承される天地の大神様
(天王ガナシー、スサノオ)の子・猿田彦神と妃神。

その神徳は穴師の神であり、金穴(かなな)の神。
すなわち、大己貴命とは大穴持神ではないのか?
ここは古来、萱野鄕と呼ばれる産鉄地だったはずだ。
続く…。



by utoutou | 2018-08-23 21:56 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)