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カテゴリ:天孫氏( 34 )

天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か

六甲山の廣田神社で、あるいは奈良の大神神社で、
地主神を封じながら祀るという祭祀を行っていた
のは、他でもない大和朝廷(天皇家)側だった。
つまり、その地には封じられた先住民族がいた。

新たな地主・朝廷側は、神の祟りを恐れたのだ。

日本書紀・神功皇后の条が「祟るところの神」と
記した神の筆頭は、撞賢木厳之御魂天疎向津姫。

次には、あの長門国一之宮・住吉神社に祀られた
住吉大神の荒魂(=男神としての天照大神)だろう。
荒魂とは「荒ぶる神=祟る神」ということだったか。


ところで、昨日まで数日の間、沖縄にいた。
那覇では、まず首里城内とその周辺を歩く。昨秋
から、那覇空港に着くと首里城へ直行というのが、
沖縄ひとり旅のお決まりコースになっている。

首里城とその周辺を何度か歩くうち、そして
御嶽や、それにまつわる伝承を紐解くうち、
首里丘陵はとてつもなく歴史の深い場所と思い始めた。



この日は早朝に東京を発ってのお昼前だったので、
首里赤田町・首里そばの開店前の行列に並ぶ。
幸い11時すぎの開店と同時に入店することができ、
そば(中)とジューシー(炊き込みご飯)を堪能。
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首里城の地下駐車場から南西側の通りに出て、
城壁沿いに進み、首里城東南にある首里そばへ。
途中、継世門(赤田御門)を仰ぎ見たりもしつつ。
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さらに数分歩くと、達磨寺・西来院の前に出た。
ここまで来ると、首里そばに到着したも同然…。
天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か_a0300530_18033579.jpg





首里十二支巡り(十二か所巡り)をしたときに来た。
と、門前で佇むと、またあることを思い出した。

語り部が去年の秋に言っていた、古い御嶽のこと。
この達磨寺の北側に、かつてあったというのが、
「国(首里)のはじまり・あーけーじゅの御嶽」

ブログ「首里はじまりの御嶽」にも書いたが、
「あーけーじゅ」とは琉球の古語で、トンボ=蜻蛉。

「あけず」「あけつ」にも聞こえるこの言葉について、
沖縄出身の植物学者・歴史家の与世里盛春氏は、
その著『日本のふるさと琉球』にこう記した(要約)。

〜 古代からこの国の国土を象徴する言葉であった
「豊秋津洲」の語源「あけず」の生まれ故郷は
琉球であり、この琉球を経由して北上移住した
倭人、あるいは隼人によって日本本土に伝わった
ものであろうと思われる。〜

ひょっとすると、「首里はじまりの御嶽」は、
「日本はじまりの御嶽」でもあったりしないか?
それを解く鍵は、「倭人、あるいは隼人」か?
と、首里そばの行列のなか、考えたものだった。

あーけーじゅの御嶽は、伝承によれば、
アマミキヨの末裔・首里天孫氏が造ったという。
天孫氏は地主神。ならば、祟り神になったのか…?










by utoutou | 2020-02-28 17:22 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)

天孫氏は火の一族〈9〉「神封じ」と縄文三神

「祀ることで封じる神祀り」の仕方は、廣田神社
(西宮市大社町)の注連柱(しめばしら)に見る
ことができるように思うと、語り部は言う。


天照大御神の荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津姫は、
天照大神(女神)信仰へと祭祀を切り替えた、
記紀成立の時代にあっては、いわば「荒ぶる神」。
先住の民の女神・向津姫は祟り神として恐れられた。
天孫氏は火の一族〈9〉「神封じ」と縄文三神_a0300530_12592655.jpg





↑一の注連柱を過ぎ、↓二の注連柱を通り過ぎると、
拝殿・神殿の前へと進むことができる。
これが、神社側が祟りを恐れた「神封じの祀り方」
ならば、「二重の神封じ」ということになるか…。
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俗界からの侵入を禁足するのが目的かと思いきや、
神威が外界へ出ることを「禁足」するための結界。

そう言えば、「巳さん」こと、大物主神を祀る
大神神社(奈良県桜井市)の注連柱について、
「注連縄で〆あげるのは、幽閉することであり、
  神にとって屈辱だった」と、歴史家・田中八郎氏は、 
 『大和朝廷と神々〜三輪山のむかしばなし』に記した。

大神神社の注連柱は、左が頭の「逆さ飾り」だが、
それは地元民から王権側への反逆の表現なのだと。
天孫氏は火の一族〈9〉「神封じ」と縄文三神_a0300530_13011682.jpg






ところで、甲山は廣田神社の神奈備山と言われるが、
大神神社の神奈備山の三輪山とは、共通点がある。

山のかたちが円錐形、つまり三角の姿をしている。
蛇がとぐろを巻く形に、古代の龍蛇信仰を留めている。
その海人族の古代信仰を、8世紀初頭の大和朝廷は
封じ込めたかったのだろうと、私は考えている。

古来、「三」という聖数を海人族は崇め尊んだ。
大和神話のなかに、「三神」が多いのはそのためか。
造化三神、綿津見三神、住吉三神、宗像三女神…。

瀬織津姫の神名が生まれた「大祓詞」に登場する
祓戸四柱神も、さくなだり(渓流)に坐す瀬織津姫
を除けば、海で罪穢れを祓う「三女神」となる。

では、「三」とは何か? と考えるとき、琉球神女
の言い伝えにあるという、あの言葉を思い出す。
〜 天にあるもの、地にあり、海にあり 〜

天と地は相似形であるという信仰が琉球にある。
太陽・月・星の三神は、海にも投影されていると。
つまり、綿津見の宮(龍宮)にも三神はおられると。

そのため、冬の夜空の東から、縦に並んで上り、
朝方には西の海に、逆の縦列になって沈んでいく
 オリオン座を、「黄金(くがに)三つ星」と呼んだ。

 そのためオリオン座は龍宮に坐す龍神にも例えられ、
琉球王朝時代になると、最高神・キンマムンや、
 火の神(日月星=おみつもん)と同義とされた。


話はあちらこちらに飛んだが、海人族の「三」は、
語り部が、「六甲山に隠さてれている」と言った
「琉球の珠」にも、反映されているはずである。

↓甲山の中腹にある神呪寺(甲山大師)には、
「神功皇后は甲山山頂に如意宝珠を埋めた」との
縁起があるというが、その如意宝珠とは、元々、
「三つ巴」ではなかったかと、考え始めている…。
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by utoutou | 2020-02-21 16:11 | 天孫氏 | Trackback | Comments(4)

天孫氏は火の一族〈8〉住吉大神は天照大神(男神)

男系太陽神の天照大神=住吉大神(三神)と
いう等式は長いこと謎だったが、いくつかの伝聞を
紐解くと、分からなかったのは天照大神⇨住吉三神へ
   と神名を変更した側の作為なのだ…と分かってきた。  

〈伝聞・その1〉
「天照(アマテル)とは、海照(あまてる)なのです」
籠神社の宮司さんはきっぱりとそう仰った。
天照大神=海照大神。籠神社奥宮・真名井神社にある
禁足地の石標について伺っているときのことだった。

「大綿津見神、亦名・住吉同体、亦名・豊受大神」
と、塩土老翁の石標下に神々の名が刻まれている。

天照大神=海照大神(=龍神)。そして住吉大神も
  龍神なのだと、宮司さんはそう伝えたかったのだろう。
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〈伝聞・その2〉
伊勢神宮元宮・伊雑宮の周辺で崇められる伊勢大神
とは、「天照大神(男神)であり、また瀧祭宮
瀬織津姫と共に祀られる猿田彦大神(龍神)である」
という伝承を教えてくれたのは、当地の神人だった。
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 二つの伝聞によれば、天照大神(男神)は龍神だった。

〈伝聞・その3〉
3つ目の伝聞は、振り返るほどでもない最近の話だ。
語り部にある質問をしているときのことだった、
「住吉三神は航海を司る神 ↓オリオン座のことですか?」
天孫氏は火の一族〈8〉住吉大神は天照大神(男神)_a0300530_13493429.jpg




語り部は言った。
「航海の守護神であっても、航海を司る道標ではない。
オリオン座(黄金三つ星)は、冬の夜に東から西へ
 と動きますからね。むしろ住吉大神(三神)とは、
  海人族にとっての聖数「3(太陽・月・星)」を
秘めた神なのだろうと思います。海人族の崇めた
天照大神(男神)は、天照大御神(女神)の誕生
 によって、〇〇三神へと分化されたのだと思います」

住吉三神、綿津見三神、また猿田彦神が貝に手を
 挟まれて死んだ際にも、三神が生まれたとされる。

そこで、私は聞いた。
「つまり、天照大神(男神)の神威を封じるため…?」
「はい。六甲の廣田神社に祀られている神様は?」
「撞賢木厳之御魂天疎向津姫(瀬織津姫)ですね」
「では、その脇殿に祀られている神様は?」
「住吉大神です。姫の一対神だった天照大神(男神)」
「祀ることで封じるという、神祀りがあるのです」

瀬織津姫と住吉大神…祀られ封じられた一対神。
旧正月を迎える未明に、あの早鞆の瀬戸を挟み、
和布刈神社と住吉神社とで、同時刻に行われてきた
 和布刈神事とは、年に一度の夫婦の逢瀬だったのか。
刈り採った若芽は、それぞれの神殿に供えられる。

by utoutou | 2020-02-14 18:59 | 天孫氏 | Trackback | Comments(1)

天孫氏は火の一族〈7〉瀬織津姫と住吉大神

長門国一之宮・住吉神社(山口県下関市住吉)へ。
和布刈神事を見た年の暮れ、福岡から行ってみた。
こちらでも、和布刈神社と同じ正月元旦の未明に
和布刈神事が行われる。ぜひ参拝したかった理由は、
『住吉大社神代記』の一文が気になっていたためだ。

廣田神社・神宴歌の項に、艶かしいくだりがある。
〜住吉大神と廣田大神は交親(むつみ)を成したまう。
墨江に筏を浮かべて渡っていらっしゃい、我が夫よ
…と、神宴歌は歌っている〜 つまり、広田大神こと
撞賢木厳之御魂天疎向津姫と住吉大神は一対神だと。

瀬織津姫の一対神とされるのは、天照大神(男神)
である。ということは、天照大神=住吉大神なのか?
などと新幹線車中で考えながら、下関へ向かった。


新下関駅からタクシー利用で10分かからずに到着。
関門海峡(早鞆の瀬戸)を挟んで和布刈神社と
向き合っていると思っていたが、海は見えない。
天孫氏は火の一族〈7〉瀬織津姫と住吉大神_a0300530_08035251.jpg






和布刈公園(「現在地」の矢印)で見た地図を確認。
上の赤丸(加工)が住吉神社。新下関駅はさらに上。
帰りは試しに、関門橋を通って門司港駅へ向かった。
タクシー代は2700円。その距離は8㎞以上あった。
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住吉神社(住吉荒魂本宮)の第一殿に祀られるのは、
主祭神の住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)。
つまり、住吉大神である。

日本書紀によれば、三韓征伐に向かった神功皇后に、
住吉三神が「我が荒魂を穴門の山田邑に祀れ」と
告げたのが創建の由緒。ここがその山田邑らしい。
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五連の破風が並ぶ本殿は国宝で、室町時代の建造。
第二殿に応神天皇が祀られ、第三殿に武内宿禰、
第四殿に神功皇后、第五殿に建御名方命。
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さて、関門海峡(早靭の瀬戸)を挟んで対岸の
和布刈神社(旧名は早鞆大明神=瀬織津姫)と
 同日に行われる住吉神社の和布刈神事(非公開)。
和布刈祭りの新聞記事を見ると、やはり壇ノ浦まで、
 松明行列で若布採りに行くのが恒例だったと分かる。

すると、若布を供える神は瀬織津姫と住吉大神
の一対神となり、秘祭のありようも納得できる。
ところが、いまもってあの謎は解けてはいない。
 
そもそも、いや、はたして、
住吉大神(三神)と天照大神(男神)は同神なのか? 

思い淀んでいたが、つい昨日、和布刈神事を書いた
自分のブログに、何かの拍子に行き当たった。
すっかり忘れていたが、こんなことを書いていた。

〜闇夜には、冬のオリオン座がよく見える。〜

そうだ。「住吉三神はオリオン座の神格化」と
 いう説に立てば、解けなかった謎は解ける。
 そのための鍵は、『おもろそうし』にあるはずだ。
つづく…。

by utoutou | 2020-02-06 12:14 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)

天孫氏は火の一族〈6〉隼人と瀬織津姫

瓊瓊杵命と木花咲耶姫の結婚神話とは、
「北の鉄」と「南の鉄」の融合を指している。

大陸の北から伝わった製鉄技術は、主に火山系
の磁鉄鉱・赤鉄鉱を使う「高温銑鉄製鉄」。
神話に例えれば、邇邇芸命の製鉄技術がこれだ。

大陸の南・江南から伝わった製鉄技術は、
水成岩系の水辺の鉄、つまり褐鉄鉱を還元する、
 いわゆる野だたらによる「低温鍛造製鉄」だった。
 神話に例えれば、饒速日命や宇摩志麻遅命の製鉄だ。
(※浅井壮一郎・著『古代製鉄物語』を参照)


瓊瓊杵命の四世孫・神武が、列島最大の産鉄地
だった大和盆地(湿原)へと東遷するには、
 饒速日命と同じ、「南の鉄」の技術が不可欠だった。
ゆえに、邇邇芸命と木花咲耶姫は結ばれた。

ところで、
北系にしろ南系にしろ、採掘する産鉄族は移動する。
江南から薩摩半島に来た隼人族は、どこへ移ったか?

浅井氏は、その足跡と広がりを次のように記した。

薩摩半島→球磨川河口の八代(熊本)→菊池川
下流の平野(〃)→筑後川(熊本・大分・佐賀・福岡)
→嘉瀬川下流の筑紫平野(佐賀)。

しかし、はたして有明海周辺までの範囲だろうか?
と、考えたところで、思い出したのことがあった。
関門海峡へも行っていたはずだと。


3年前の今頃、北九州市門司区の和布刈神社で
和布刈神事を見た。旧正月元旦、引き潮の海中に
 神職が入り、松明を掲げて若布(わかめ)を採る。
(今年20年の和布刈神事は、25日に行われたそうだ)
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この若布は、「壇ノ浦わかめ」とも呼ばれる。

いっぽう、和布刈神社にも別名がいくつかあり、
仲哀天皇9年の創祀から明治期まで、「速戸社」
「早鞆社」「速戸大明神」「早鞆大明神」と呼ばれた。
なぜなら、海峡の古名とは、「早鞆の瀬戸」だった。
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 さらに最古の社名は、「隼人社」「隼人大明神」。
隼人族の足跡が、「早靭」の地名に残っていた。
それでは、この地に祀られた「隼人大明神」とは…?

あの旅にちょうど持って出た本…菊池展明・著
『八幡比咩神とは何か〜隼人の蜂起と瀬織津姫』
の次のくだりには、目から鱗がボロボロと落ちた。

〜隼人大明神と呼ばれていた天照大神荒御魂は、
神功皇后の征討譚と神社由緒が結びつけられ…
(中略)「西門鎮護の神」と、その神徳が語られて
きました。この神の鎮座地は「速吸の穴門の瀬戸」
(早靭ノ瀬戸=速戸)に接するところにあり、
その神徳の原像を言えば、海の神霊から海峡の神霊
へと転じたといえましょう。〜

天照大神荒御魂=瀬織津姫=弁財天=媽祖=天妃。
その原像は、隼人(海人族)が崇めた航海の守護神。
隼人(熊襲)の国・閩越(越、古名・委)の女神。

蝦夷(えみし)の国の女神・瀬織津姫は、
大陸の「夷(えみし)の国の女神」でもあったのだ。

古代中国では、非漢民族を「夷」と蔑称で呼んだ。
古代日本では、まつろわぬ民を「蝦夷」と呼んだ。



隼人大明神(瀬織津姫)が降臨したと伝わる「神居岩」。

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by utoutou | 2020-01-29 21:09 | 天孫氏 | Trackback | Comments(4)

天孫氏は火の一族〈5〉隼人の女神

隼人族は記紀の語る熊襲。元々はアタ族という。
沖縄には「アッチャー(渡る人)」という方言があり、
「海アッチャー」「島アッチャー」「唐アッチャー」
などと言うが、ひょっとするとアタ族が語源か…??

やはり気になるのは、アタ族が海を渡ったコース。
長江の南・江南にいた「閩越(びんえつ)」の民は、
武帝の漢に追いやられ、漂流民となった末に、
閩(福建省)から船出して、薩摩半島に着いた。

アタ族が、後に「阿多隼人」となる産鉄海人族
だったという説を前回紹介したが、しばし「鉄」の
話を横に置き、アタ族(閩越の民)の本拠地だった
 閩江に近い都市・福州について、書いておきたい。


というのは、
 現在の福州市は那覇市の友好都市となっている。
(↓地図は那覇市HPから拝借)。福州はおそらく
沖縄本島にいちばん近い大陸の港で、14世紀以降、
 琉球から中国に朝貢するときの拠点となっており、
 専用の施設である琉球館を置いていた時代もあった。

それもそのはずで、察度の時代に明の国から来沖、
「久米三十六姓」として活躍したのは閩人である。


千年以上の時を経ているので、閩越の民と閩人の
関係は不明だが、ともあれ閩の福州は名だたる良港
で、そこを拠点とした閩人は優れた海洋民だった。
(マルコ・ポーロがイタリアから黄金の国ジパング
 に来たとき、閩人の船に乗っていたという説がある)
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「九面里に江南人の家あり」と琉球國圖(15世紀)は記す。 
その久米の里の人々が崇めていた女神は ↓天妃だ。
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もともと ↑ 天妃宮は久米村にあったというが、
現在は若狭の天尊廟に合祀されている。'17年撮影。
 琉球王朝の名宰・蔡温や文人・程順則も久米の出身。
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さて、天妃とは、福建の母・媽祖(まそ)である。
別名は、娘媽(ろうま、にゃんま、のうま)とも。
日本では主に「にゃんま」と呼ばれてきたらしい。

娘媽(にゃんま)は隼人(アタ族)の崇めた神だ。
薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』(1843年)の
27巻、薩摩国河邉郡「野間岳」の項に、解説がある。
(以下要約)

☆往古は笠砂岳と呼ぶ。山上に娘媽神女を祀る。
☆山上には娘媽神社がある。
☆娘媽と音が近いため野間岳という地名になった。

笠砂宮で、皇孫・邇邇芸命と結ばれた木花咲耶姫
(カムアタツヒメ)は、娘媽(航海神、弁天様、
製鉄の女神)を祀る神女。半島から南下してきた
邇邇芸命には大山祗族に婿入りする理由があった。
それは、「北の鉄」と「南の鉄」の融合だった…。


by utoutou | 2020-01-26 20:16 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)

天孫氏は火の一族〈4〉隼人の鉄

『アイアンロード〜知られざる古代文明の道』
(NHKスペシャル)をオンデマンドで再視聴。
我ながらハマった。確認したかったのは後半だ。

スキタイから伝わった製鉄技術で鉄の軍事国家
となった匈奴が、前200年に万里の長城を超え、
漢に侵攻して圧勝したとき、武器は鉄の鏃だった。
片や初代王・劉邦の率いる漢の鏃は青銅製だった。

が、70年後、漢は鉄のイノベーションに成功する。

七代王・武帝が匈奴に反撃して打倒を達成(前133)。
勝因は言うまでもなく鉄の新兵器・戟(げき)だった。
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漢は、それまで不可能だった強い鉄の武器を、
↓ 炒綱炉(地炉に蓋を被せる)の開発によって
大量生産。軍事力を飛躍的に強化させたのだった。
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鉄のイノベーションによって、大型の武器と同時に
畑を耕す鉄の農具も開発、漢は農業革命を進めた。
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その最新技術は朝鮮半島を通り、日本列島へ到達。
鉄の工具は集落や船を大型化、弥生の社会を変えた。
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〜いま私たちはユーラシアの人々が切り拓いた道
を歩み続けている〜 エンディングに浸りつつ、
やはり思うのは、「さらにもう1本の鉄の道」。
北ルートではない南ルートもあったはず、と…。

そもそも、大陸には、北の赤鉄鉱・磁鉄鉱に
よる高温製鉄と、南の褐鉄鉱による低温製鉄、
2通りの製鉄があったという。後者を運んだ
南ルートが、「さらにもう1本の鉄の道」だ。


ところで、
漢の武帝王は、匈奴に圧勝したちょうどその頃、
長江の南にあった国・閩越(びんえつ)も討った。

閩越は越王・勾践(こうせん)の子孫、つまり
越(前334年に滅亡)の一族が建てた国だった。


※地図は山川出版社「詳細世界史図録」より拝借。
右下、台湾の西の赤丸(当ブログの加工)が閩越。
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武帝に滅ぼされた閩越の民は漂流民となった
が、元々は製鉄・造船・航海・漁業などの高度
な技術を有する、海洋民族だったという。

沢史生氏・著『閉ざされた神々』によれば、
閩越の民は新天地を求めて海を渡り、薩摩半島
の野間岬に漂着、鉄の農具で稲作を始めた。

「アタ族」とも呼ばれていた彼らは、現在の
 日置郡金峰町に定住して、「阿多隼人」となった。

水辺の漂流民だった隼人の製鉄は、葦原に成る
スズ鉄を用いた低温製鉄だったに違いないと、
浅野壮一郎氏は『古代製鉄物語』で述べている。
「豊葦原の瑞穂の国」に先着したのは隼人だったか。




by utoutou | 2020-01-22 21:24 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)

天孫氏は火の一族〈3〉長髄彦(ながすねひこ)

ヤマト神話によれば、饒速日命は大和に東遷
して、豪族・長髄彦の妹である三炊屋媛を
娶り、宇摩志麻遅命をもうけた。

実はこの長髄彦を思わせる口伝も琉球にある。

アマミキヨの直裔・ミントン家に伝わる話に、
〜阿摩美姑(アマミキヨ)は女の神様で、夫はソネ彦
と申したようであります。〜 というくだりがある。
(窪田道全氏・著『如件(くだんのごとし)』)

ソネ彦だけでは信憑性がなさそうだが、続きがある。
久高島の始祖神(※英祖王統の時代、13世紀のこと
ゆえ中興の祖か)と呼ばれるのは、アマミキヨの
子孫でミントン家の娘ファガナシーと、その従兄弟
であるシラタルの夫婦。そのシラタルは屋号・本部の
子息だった。姓は中宗根(なかそね)。ヤマトにも
 長髄彦の裔は中曽根さんとの伝承があり、一致する。

シラタルはこの戦後まで、島の祭祀場・久高殿の
イラブー海蛇の燻製所に守護神として祀られていた。
いっぽう長髄彦は、龍蛇神を崇めたとされる。

そんな長髄彦の口伝、饒速日命と宇摩志麻遅命、
あるいは、真和志(まーじ)の地名・島尻マージ。

島尻マージには、鉄を含むマンガン塊が分布するが、
その話はさておき…、三輪山の主だった饒速日命
が産鉄族だったことは、物部の「物」が、「霊」と
「鉄」を意味したことからも、大いに頷ける話。


そう言えば、久高島にあるスベーラの御嶽に、
語り部が視たのも、天孫氏王朝の饒速日命だった。

年末に行った久高島の帰りに高速船から撮影。
御嶽は、島の南端のイラブーガマの上にある。
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さて、話は変わって数日前のこと。
古代の「鉄」を描くドキュメンタリーを観た。
「NHKスべシャル」で放送された、
アイアンロード〜知られざる古代文明の道」。
(再放送は、1月19日(日)0:35〜)

近年、ユーラシア大陸中央部のアルタイ山脈で発見
された巨大な墓(紀元前5世紀)から、男性のミイラ
が見つかった。その髪は、アジア系の特徴である
 黒髪でなく金髪だったという話から紀行は始まる。

そこにいたスキタイ人は、広大な国を築いていた。
草原に点在する「鉄の遺跡」を繋げると、大陸の西
 から東へ走る「アイアンロード」が浮かび上がる。
スキタイの繁栄を支えたのが、「鉄」だった。

「鉄の起源はヒッタイト」と言われて久しいが、
ヒッタイトの滅亡は紀元前12世紀。いっぽう、
スキタイが鉄を使ったのは、紀元前8世紀から。

製鉄技術の伝播は、紀元前10世紀にコーカサス
山脈を超えると、またたく間に東へと伝わった。
遊牧の民は実は産鉄族だったという興味深い話…。
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アイアンロードは、やがてユーラシア大陸を横断、
日本列島に到達した。そのとき、日本は弥生時代。
途中、もう一本のアイアンロードがあったという。

匈奴が南下して戦った漢への道。圧勝した匈奴の
武器は、アイアンロードで培われた「鉄」だった。
と同時に、漢にも進化した製鉄技術は伝わった。
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圧巻の実写映像と情報量に浸りつつ、放送後、
 テレビ画面で撮った ↑ 地図をしばらく見つめた。

 アイアンロードが日本に到達したのは、弥生時代
  というが、例えば長髄彦も饒速日命も邇邇芸命も、
 もっと古代にこの列島に渡来したはずだった。

 つまり、大陸北方のアイアンロードを通らない、
 「さらにもう一本の鉄の道」があったと思うのだ…。





by utoutou | 2020-01-17 15:34 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)

天孫氏は火の一族〈2〉宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)

首里天孫氏は識名にいたと語り部は言う。ただ、
それは「遺跡のある識名」という脈絡でのお話。
伝承を紐解くと、次のようになる。

「御先(うさち)の世、首里天孫氏は真和志にいた」
(※この場合の御先とは、ヴュルム氷期以前を指す)

真和志(ウチナー方言では「まーじ」)は、位置的
には現在の那覇市中心部。逆に考えれば、古代の
「真和志」は那覇全体を指していたのかもしれない。

王朝時代の那覇古地図。中央上(深緑)が真和志。
その北東に隣接する地域(薄茶色)が、首里城。
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ところで、首里天孫氏はアマミキヨの末裔という。
アマミキヨ直系・ミントン家の伝承「如件」には、
「国王首里天孫氏」の項に、伝承が記されている。

〜天孫氏は阿摩美姑(アマミキヨ)の長男で、
代々、国王として琉球開発に念を入れて
二十五代までには部落も出来、道路も通じ、按司
もところどころに置いて太平の代であったよう
でありますが、逆臣利勇のために滅ぼされました。〜

天孫氏に続く次の王統が、源為朝の子・舜天を
初代王とする舜天王統(1187〜1259年)だと、
首里王府編纂の正史『中山世鑑』は記している。
正史なので、琉球・沖縄史の教科書も記している。


ところで、7年前、語り部に神託が降りた。
「真和志に宇摩志麻遅命がいた」と。そのことは、

古事記では、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)、
日本書紀では、可美摩手命(うましまじのみこと)。
饒速日命の子、物部氏の祖とされる神。

そのウマシマジが真和志(まーじ)にいたという。
語呂のよいギャグのようでいったん戸惑ったが、
ややあって、語り部と真顔で話し合った。

「ウマシマジとは、ウマシ・マージのことでは」
「首里天孫氏に、渡来の物部が和合したのでは」と。

万葉集に、「うまし国ぞ秋津島」の句があった
 ように、古語で「うまし」は「美しい・立派な」。
宇摩志麻遅命の一族は、その真和志にいた。

では、何が美しく立派だったのだろうか?
 土壌だ。沖縄各地に見られる「島尻マージ」。
その赤土は古来、金鉱資源を含んでいたらしい。

ヤマトでは、
物部氏は、大物主神を奉じて産鉄族を統率した。
その原郷は真和志にあったと、語り部は視る。


真和志(まーじ)の一村だった識名には、いま
王朝時代の王家別荘で迎賓館だった識名園がある。
この現・地名もまた「真地(まーじ)」という。
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by utoutou | 2020-01-12 16:41 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)

天孫氏は火の一族〈1〉

2020年、今年もよろしくお願いいたします。
年明け初回の本日より、新シリーズを始めます。

昨年まで、本土各地の聖地や神社を訪ね歩き、
アマミキヨが北上したという仮説に立って痕跡を
探ってきましたが、今年はまず原点に戻ります。
2巡目の追跡アマミキヨは、火の神(ひぬかん)のお話から。

★★★

年末のあるとき、語り部がアマミキヨに
 まつわる大切なことを思い出させてくれた。
  
アマミキヨのつくった聖なる七御嶽には、
それぞれに火の神(ひぬかん)…「太陽・月・星」
を祀る磐座があり、さらにそれら七御嶽は、
何かしらのレイラインで繋がっているのだという…。

何年か前に聞いたのだったが、失念していた。
琉球第一の御嶽である斎場御嶽と、
首里城の首里森御嶽・真玉森御嶽も、ゆえに冬至
 の日の出ラインで繋がっているという奇跡的な関係。

「ということは、京の内には本来もう1ヶ所、
星を祀る御嶽があったはずだと思います」とも。

京の内で太陽・月・星を祀る火の神は、
御三物(おみつもん、おみちもん)とも呼ばれた。
 そして、その磐座は斎場御嶽の三庫理にもあった。
(ちなみに、斎場御嶽の奥にそびえるナーワンダーグスク
の火の神についてのブログは、こちら

「数十年前までは三庫理の上に登ることができた。
 火の神を祀るからこそ、首里と一対だったわけです」


斎場御嶽・三庫理。珍しく無人だったときの1枚。
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三庫理の中、石香炉の前から磐庫を見上げる。
いつからか、このアングルの1枚を必ず撮るようになった。
ほとんどの人は反対側で久高島を遥拝しているが、
聞得大君や神女の神女が礼拝したのは、こちらという。
王朝時代の金の勾玉が出たのも、この磐座の下だった。
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さて、では、最初に首里の火の神こと首里森御嶽と
真玉森御嶽を祀り崇めたのは、いったい誰だったのか?
つまり嶽々のレイラインを繋ぎ、祈った古代人とは?

年末最後のブログで、縄文後期の織名原遺跡に
ついて書いた後、語り部は言ったものだった。
「その頃、織名にいたのは首里天孫氏ではないか…」

後に「首里天孫氏」と呼ばれることになる人々は、
伝承では、アマミキヨの末裔となっている。
その始祖神が降臨してから1万7千802年続いたと
伝える琉球王朝の歴史を、いま非常にリアルに感じる。


琉球国の迎賓館だった織名宮のある織名は、
首里城の南から金城石畳道を下りて数㎞の先に位置する。
そこから首里の二大御嶽は、どう見えていたのだろう?
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by utoutou | 2020-01-08 15:09 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)