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六甲山と瀬織津姫 169 たたら製鉄

会下山遺跡(芦屋市三条町)を霊視した語り部が
「たらの芽が山盛りに入った高杯(土器)が視えます」
と言ったとき、私はあるモノを思い浮かべた。
葦原に生える水草(葦、茅、薦)の根の部分に
生成する褐鉄鉱だ。代表的なものは、「高師小僧」
と命名され、愛知県の天然記念物となっている。



文化財ナビ愛知のサイトより拝借した、
豊橋市高師原で生った高師小僧(褐鉄鉱の団塊)。
地下水中の鉄分が水酸化鉄として、水草の根の周りに
管状・紡錘状に沈殿したもの。いわゆる「スズ鉄」。
各地での呼び名に、その形状から「壺石」などもある。
写真左下に数個並ぶ小さいものは、たらの芽のサイズ感。
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こちら山菜・たらの芽(食彩ネットサイトより拝借)。
語り部の視たたらの芽が入った高杯土器のイメージは、
会下山遺跡でスズ鉄による「たたら製鉄」が行われて
いたことを示唆する神託だったのだろう。
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翌日、語り部はこんなことも言った。
「くるみが、鈴なりになっているのが視えます」

これも高師小僧(褐鉄鉱の団塊)か。私は言った。
「鈴なりというのは、褐鉄鉱の塊が植物の根に密集する
状態を指すようですから、そのくるみは、やはり
土鈴のように音が鳴る褐鉄鉱を示しているのでは?」


そう言えば、
天河神社(奈良県吉野郡)の神器・五十鈴や、拝殿の
鈴なりの鈴も、スズの生成を祈る神事を象徴している?
スズ鉄は、弥生時代の貴重な産鉄原料だった。
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〜わが国の弥生時代には製鉄は行われていなかった
と考えられているが、鉄は銅を溶解するよりも低温
の700〜800度の熱度で鍛造できたのであるから、
弥生時代にも自然風を利用する露天タタラによって
製鉄が行われていたことは容易に想像できる。〜
※真弓常忠著『古代の鉄と神々』より引用


六甲の会下山に、たたら製鉄の民が住んでいたなら、
8つの炉跡があったという山(前回のブログ)は、
露天タタラの並ぶ製鉄所として機能していたのだろう。

ふと想像した。「鬼に金棒」という諺があるが、
その真意は、鬼をたたら製鉄の民に例えるいっぽう、
スズの塊を金棒に見立て、後世に揶揄したものではないか。
なぜなら「金棒を担いだ鬼」は、産鉄の新技術を持つ渡来民
との戦いに負けて、六甲山から東へ西へと追いやられた…。

カタカムナを持った山男・平十字(ひらとうじ)は、
金鳥山附近で出会った楢崎皐月にこう言ったという。
「我々アシア族は、天皇家の祖先に滅ぼされた」。
それを、歴史は「倭国大乱」と呼ぶ。


by utoutou | 2018-04-29 12:49 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 168 カタカムナ再び

琉球から北上したアマミキヨは銅鐸の素材・青銅でなく、
葦の根に生るスズ(褐鉄鉱)で鉄を作ったのだろう。
ただ、植物由来であるスズはその痕跡を残さない。

そのため、いつしか
「豊葦原の瑞穂の国」は「豊葦原の稲穂の国」とされ、
葦の鉄の時代は、歴史から失われたと考える。
つまり、古代産鉄の歴史は、次のように変遷した。
スズ鉄の時代→青銅器の時代→砂鉄による鉄器の時代。


2000年前の高地性集落・会下山遺跡(兵庫県芦屋市)
には、集落の中央に泉のような水場があったという。
また、焦土抗(火炊き場の跡)が集落南部で見つかった。
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ジオラマを見ても分かる通り、
祭祀場が山の頂点(右の尾根)にあったという配置。
これを見て、「まさに葦のスズ鉄作りの村」と、感じた。
高地集落に立つ家と倉庫、そして、風と水と火と祭祀場。
鍛治とシャーマンは同じ穴のムジナ…と言われるのは、
鑪の火で片目を潰す男たちを守護したのが巫女だからだ。


祭祀場跡の遺物は、男根を象った石、首輪、高杯など。
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ところで、
↓この写真は会下山遺跡のパンフレットから拝借した。
六甲山から大阪湾を一望する絶景地に祭祀場があった。
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↓こちら、会下山遺跡から約2㎞西、金鳥山からの眺望。
画像を較べると、両地点がほぼ同じ標高だと分かるが、
上下2枚の写真から、私はある1枚の地図を連想した。
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その地図とは ↓こちら。昭和24年、金鳥山の山中で、
平十字と名乗る男からカタカムナ文献を見せられたと
いう楢崎皐月氏が描いた周辺地図(「相似象学」誌)だが、
金鳥山の東に「ドロカエシ池」「炉跡の山」がある。
地図を見る限り、炉跡の山は、会下山遺跡の地点だ。
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「炉跡の山」について、「相似象学」誌は記す(要約)。
〜(平十字氏は)笹の葉の動くのを道しるべに
行けば、お前さんの喜ぶものが見つかると言い、その
通りに(楢崎らが)行くと、八ヶ所の古代の炉跡から、
たくさんの遺物を収集した。その際、近くにある倉庫跡を
測量すると、メートル法に従っているので驚いた。〜


いっぽう、「ドロカエシの池」については…(要約)。
☆池の上では、小鳥が90度方向を急展開する。
☆その直下を掘ると、錬金らしき黒い玉が出てきた。
☆池からは、ブクブクとメタンガスが噴き出ている。
☆金鳥山とは「カネトリ山」の意ではなかったか?


2地点に関する記述は、金鳥山周辺に何らかの金鉱
資源があったことを伺わせるが、ちなみに会下山遺跡
が発見されたのは昭和31年、楢崎が六甲山を調査した
とき、会下山遺跡の発掘はまだ始まっていなかった。


さて、数日前に沖縄に来たので、昨日は語り部に
そんな六甲山にまつわる話をして地図を見せると、
会下山遺跡はカタカムナ族の集落だろうと、言う。

「会下山というより、金鳥山を含む一帯がカタカムナ人
の集落だったようです。ドロカエシ池のような沼が
 点々とあり、近くに野ダタラの炉も点在して視えます。
野ダタラは沖縄のジール(地炉)と似ていて、そこでは
鉄と一緒に土器も作っていたようですね。ところで、
〝たらの芽〟とスズ鉄とは、どういう関係がありますか?」
「たらの芽ですか。天ぷらなら最近食べましたけど…笑」

たらの芽のようなモノが土器に山盛りに入っている
 のが視えるという。それが周辺を物語るヒントらしい。
つづく…。






by utoutou | 2018-04-21 10:05 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 167 会下山遺跡

このところ銅鐸に興味津々な私に、語り部は辛辣だ。
語り部というか、語り部の交信する神が辛辣に言う。
「銅鐸ばかり追って、いったい何がしたいのか? 」と。

「アマミキヨの末裔は銅鐸と関係ないとでも?」
尋ねるも、語り部は同じ意見を繰り返すばかり。
「最近は(書く)方向がズレているように思います」

そんな会話を電話で交わしたのは3日前だったが、
折りしも3ヶ月ぶりの関西出張があり、前乗りして
会下山(えげのやま)遺跡(芦屋市三条町)を訪れた。


阪急・芦屋川駅から高級住宅街を登ること20分。
山手中学の西、芦屋市聖苑の横に遺跡の入口を見つけた。
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「会下山遺跡コース入口」と丁寧に看板がかかっている。
さらに丁寧なことに、フェンスのドアは施錠式である。
〜イノシシが出るので扉を開けたら、すぐ閉めて下さい〜
ここから徒歩10分で遺跡に辿り着くらしいが、つまり
遺跡は動物園の檻状態。ひとりで進む気になれず、断念。
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かわりに地図で【国指定 会下山遺跡】を学習。
〜約2000年前の弥生時代の高地性集落です。遺跡
は会下山全体に広がっており、縦穴式住居や祭祀場、
火たき場跡、掘跡、墓跡などが発掘されています。
標高約200mの山頂付近にある祭場跡は眺望が大変
よく、遠くの地域まで見渡すことができます。〜
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迷わずUターンしたのは、遺跡入口の近くに芦屋市の
文化財整理事務所(月・木が見学可)があるのを、
道すがら確認していたからだ。それでよしとしようと…。
    中に入るとそこは遺物の宝庫。しかも学芸員のご案内付き。      
↓会下山遺跡模型。左上が登山道入口、右の頂点が祭祀場。
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高地性集落の名の通り、南は大阪湾、紀伊山地までを
一望、北東は摂津地方北部の平野までを見渡せる。
その役割は、見張り場、逃げ城、集会、交易、集落、
畑作農耕、交通拠点、祭場など諸説あるというが、
祭祀場の石組やガラス玉など様々な遺物に目を引かれる。
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弥生時代中期〜後期(紀元前2〜紀元1)の遺跡だが、
想像以上に広範囲な交流・交易を示す遺物が多い。
丹後・近江・河内地域の土器片、青銅製漢式の鏃と弓器。
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こちらの事務所は、会下山遺跡だけでなく芦屋市の
文化財すべてを管理しており、所内は見どころも満載。
会下山遺跡から南東へ2㎞ほど、古代の打出浜にあたる
打出小槌古墳(5世紀末)出土の人物埴輪(レプリカ)も。
顔に入れ墨、ふんどし、被葬者は南方海人族の首長か!?
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会下山遺跡から銅鐸は出ていないが、銅鐸関連の展示も。
時代とともに銅鐸は大型に。黒色が神戸市桜ヶ丘銅鐸。
手前の薄い黒色のが淡路島松帆から出土した銅鐸。
最小の銅鐸は、芦屋市月若遺跡から出土した小銅鐸。
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ところで、
芦屋市の歴史は約2万年前の後期旧石器時代に遡る。
くだんの打出小槌古墳からはナイフ型石器が出土した。
氷河期の終わりで瀬戸内海はまだなく、芦屋は内陸部
だったというから、「芦屋=葦屋」の語源もうなづける。

ここでようやく語り部を通して届いたメッセージを解した。
「銅鐸ばかり追って、いったい何がしたいのか? 」
その問いかけの意味が、うっすら見えてくる。

銅鐸(青銅)の時代でなく、注目すべきはスズ鉄の時代。
原初のアマミキヨは、褐鉄鉱を探索した古代製鉄民だと、
芦屋こそが、「豊葦原の瑞穂の国」だということなのか…。











by utoutou | 2018-04-14 08:48 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 166 天御影命の「影」(改)

 綱敷天満神社(神戸市東灘区)の成り立ちは難しい。
 地名の「御影」が、天御影命を祖神とする一族の存在
を感じさせるが、祭神に天御影命の神名は見えない。

 祭神は菅原道真大神、別雷大神、倉稲魂大神、天穂日命。

ただし、社殿によれば、代々司祭したのは天津彦根命
 の子孫というから、その子とされる天御影命は当てはまる
 が、ではなぜ祀られないのかを考えるとスッキリしない。

また繰り返しになるけれども、神社略記「歴史」には、
 御影の地名の起こりについての以下の一文がある。

〜(ここ摂津国荏原郡)覚美郷(かがみごう)御影の
地名の起こりは、古代この辺りに銅細工に関わる
技術者集団「鏡作部(かがみつくりべ)がいたと推測
されることに由来します。社宝の古い神体には、銅塊
が祀られていた。〜 

鏡作部の祖神は、天照大神の天の岩戸伝説に登場する
八咫鏡を造った石凝姥神(いしこりどめ)だが、
 銅鏡と天御影命の関係もまた、浅からぬものがある。

御之御影神を主祭神に祀る御上神社(滋賀県野洲三上)
の鎮座する三上山付近からは、銅鐸や銅鏡などの出土
品が多く、鍛治の一族か集団がいたと考えられている。
六甲山麓・桜ヶ丘から銅鐸が出た御影と似た歴史がある。


いっぽう、まさに「御影の森」という地名が、
綱敷天神神社から3.5㎞ほど西にあり、こちらこそは
天御影命に所縁があるのではないかとされる神社がある。

五毛天神・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通り)だ。
阪急王子公園駅から1㎞ほど登ったところに鎮座する。
祭神は大己貴命(大国主命)、少彦名命、菅原道真公。
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この地は古代、凡河内(おうしかわち)氏の居住地と
言われるが、その豪族とは天御影命の子孫という。
この神社の森が「御影の森」と呼ばれる理由がそこだ。
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ところで、
『法隆寺伽藍縁起并流記資材帖』(747年)には、  
摂津国雄伴郡宇治郷に、法隆寺が所有する
宇奈五岳(うなごのおか)があったと記されているが、
そこが現在の会下山(えげやま、神戸市兵庫区会下山町)
付近という(芦屋市の会下山遺跡と同名だが読みが違う)。
また、宇奈五岳の西限が凡河内寺山とも記されている
ことから、凡河内氏は、その会下山付近にも居住して、
 一族の氏寺も建立していたと考えられる。


いっぽう、河内國魂神社の由緒は、少し歯切れが悪い。
〜一説には摂津国造である凡河内忌寸の祖・天御影命
を祀っていたのであろうと言われますが、その間の
消息も長い年月を経た現在、詳しくはわかりません。〜

東から西へ、綱島天満神社、河内國魂神社、会下山。
凡河内氏が居住していたらしい3ヶ所を繋ぐと10㎞以上。
だが、そこで絶大な勢力を張っていたという確証はない。


綱敷天満神社、河内国魂神社にしても、天御影命を
祖とする一族の繁栄を匂わせているものの、共通する
祭神は菅原道真で、象徴の牛像がある(↓河内国魂神社)
こと以外、こちらも詳細がはっきりしないのが悩ましい。
六甲山で、天御影命の「影」が薄いのはなぜなのだろう…。
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by utoutou | 2018-04-06 14:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)