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六甲山と瀬織津姫 177 有馬・高槻断層帯

語り部の口を突いて出た「いなべ」の一族を探す前に、
箕面を襲った地震について思い出したことがある。

瀧安寺を出て、箕面川の滝道を下って歩いていた。
約1ヶ月前の夕方4時半。擦れ違いに登っていく人は
もう誰もいない。そして、木々はほんのり黄色く見えた。
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数分ほど歩くと、滝道のカーブ右手に句碑がある。
野村泊月という俳人の作という一句に足を止めた。
〜椎の花 八重立つ雲の 如くにも〜
明治生まれで高浜虚子に師事したホトトギス派の人という。
※写真は、箕面ボランティア協会様のHPより拝借。
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椎の花がなぜ雲の如くに咲くのかと首をかしげたが、
その場で調べると、箕面山には瀧安寺を中心として
椎の木が多く、新緑の頃は山肌がクリーム色に染まると
知った。だから、あの瀧安寺の山も黄色く見えたのだ。
振り向くと、〜椎の花 八重立つ雲の 如くにも〜 
という、まさに新緑の箕面山の景観がそこにあった。
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滝道で、もうひとつ気にかかったこと。
句碑の背後の岸壁は有馬・高槻活断層の路頭だと、
同じHPで知った。次のように記されていた(要約)。

☆野村泊月の背後に見えるのは、活断層の路頭。
☆有馬の西部から高槻の東部に至る55㎞の間を走る
「有馬高槻構造線」と呼ばれる活断層の一部である。
☆この活断層が活動して起きた最近の地震が、
慶長元(1596)年の「慶長伏見大地震」で、
箕面を含む北摂地方は、壊滅的な被害を受けた。


有馬・高槻活断層(=有馬・高槻断層帯)とは、
6月18日の朝に起きた大阪北部地震の震源とされる。
その422年前の慶長伏見大地震では、豊臣秀吉が建てた
伏見城の天守が倒壊したが、瀧安寺(箕面寺)もまた
 全壊したと、『箕面寺秘密縁起』(明暦2年)は記す。


慶長伏見大地震で全壊した箕面寺は、明暦2年に
後水尾天皇勅願による再建が始まり、大滝の下あたり
にあった旧地から、現在地に移されて完成したという。
こちらが、箕面山 瀧安寺の本堂(弁天堂)。
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有馬・高槻断層帯が震源とされる地震は、今回まで3回
起きたという。ひとつ目が慶長伏見大地震。その前が奈良
から鎌倉時代にかけて。その前が縄文晩期のBC1000年頃。
活動周期は1000年から2000年というが、今回は短い。


ところで、658年に箕面で修行したと伝わる役行者。
その最大の伝説地・葛城山(金剛山)は、中央構造線
の北側に発達した領家変成帯の中に位置しており、
古くから、鉄・銅・朱砂の鉱物が豊富な土壌だった。

では、有馬・高槻断層帯に位置する箕面はどうか…。

葛城山で修行していた25歳の役行者が、箕面の方向
に五色の雲を見て三鈷杵(さんこしょ)を飛ばすと、
それは箕面大滝の上の松に掛かったという伝説は、
この地に鉱床があることを暗示しているのではないか。

そもそも三鈷杵とは、金剛蔵王菩薩の持つ法具だ。
「金剛蔵王とは埋蔵する金属を支配する王」との説も。

役行者を主尊とする瀧安寺・行者堂は、脇尊に、
不動明王像と蔵王権現像を安置している。
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これら諸々を考え合わせると、
箕面の古代に関係するらしい「いなべ」の一族とは、
箕(み)を用いて鉱物を採る人々だったのかもしれない。
語り部が言うように、箕の面が籠目だったなら物部氏か。


by utoutou | 2018-06-24 16:22 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 176 箕面弁財天

箕面山 瀧安寺(大阪府箕面市箕面公園)について
書こうとしていた、きょう18日(月)の朝8時ごろ、
箕面市を含む大阪府北部に震度6弱の地震が襲った。

2時間後、私を箕面に案内してくれたMさんに連絡をとる
と、阪神大震災ときのような強い揺れだったとのこと。
ご無事だったとはいえ、ガスがまだ止まっているという。
箕面市を含め関西在住の皆さまのご無事をお祈りします。


さて、箕面山 瀧安寺境内を歩いてもっとも印象深かった
のは、他でもない、役行者とマニ宝珠の組み合わせだ。
「神変大菩薩」と石標のある行者堂の傍に佇んでいる。
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妙音弁財天と南国の聖木・蒲葵(クバ)とマニ宝珠。
弁財天の傍に立つクバ…はたして偶然か何かの暗示か。
弁財天の立ち姿を仰ぎ見て、しばし妄想にふけった。

背後の眼下に箕面川が流れている。
弁財天=インドのサラスバティ=水の女神。
「箕(み)の面は籠目に編まれている」と言う語り部は、
そこに六芒星と籠の中の鳥と、物部氏を視たに違いない。
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境内の手前東に妙音弁財天、西に行者堂と役行者像。
参道を北へまっすぐ進むと、日本最古の箕面弁天堂。
瀧安寺HPによれば、最近、弁天堂拝殿の正面に、
弁天様の真言を彫った木版が設置されたそうだ。
弁天堂は滝道に続く。大滝へ登る途中で参拝する人も。
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弁天堂から下段に降りると、修験根本道場の護摩壇。
来たる7月7日11時、ここで大護摩供が催行される。
〜関西一円より山伏が集結し、世界平和をはじめ参拝者
の願いを護摩木に添えて不動明王に届けます 〜
奥の小祠には弁財天が祀られている。祭祀の配置から、
不動明王=弁財天=瀬織津姫の異名だと無理なく分かる。
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弁財天の手前に役行者の石像。前鬼と後鬼が控える。
神変大菩薩こと役行者が弁財天を守護している。
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観音堂の内部には、壁画に如意輪観音が描かれている。
この観音もまた、瀬織津姫の異名であった。
本堂前(写真右)に置かれたマニ宝珠の傍の案内は、
〜マニ宝珠 本尊の象徴・シンボルです
手で触れてお祈りください 〜
こちら観音堂には、如意輪観音・不動明王・阿弥陀如来
の像を安置。拝殿表には弘法大師(空海)の扁額も掛る。
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マニ宝珠、如意輪観音、弁財天、不動明王(=瀬織津姫)、
大黒天(=猿田彦、天照大神)、役行者、弘法大師・空海。
瀧安寺から滝道へ。箕面川の赤錆びた川石を眺めて思う。
役行者はなぜ箕面に来て籠り、弁財天を感得したのか?
そしてなぜ、箕面山の天上ヶ岳で夭逝したと伝わるのか?
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答えは、仏教伝来以前からこの地にいた民にありそうだ。
いっぽう役行者は、葛城山系や奈良・吉野の大峯山を
歩いたが、道はすべからく鉱物資源の宝庫で、そこには
役行者を助ける山師のネットワークが存在したという。
彼らは葛城山の土蜘蛛や吉野の国巣(くず)のように、
朝廷にまつろわぬ民。箕面にもそんな先住民がいたのか。

ぶらぶらと滝道を歩いていると、語り部から電話が。
「箕面川というのは、何という川と合流しますか?」
「確か伊丹あたりで猪名川に合流すると思います」
「その猪名川は、イナべという一族と関係ありますか?」

さて、はたして、イナべ一族は猪名川の由来なのか…。
そしてこの箕面にもイナべ一族の痕跡はあるのか…。
そもそもイナべさんとは何者なのか…。

















by utoutou | 2018-06-18 20:52 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(1)

六甲山と瀬織津姫 175 箕面大滝の龍穴

瀧安寺(大阪府箕面市箕面講演)へは、阪急線箕面駅
 から川沿いの緩やかな上り坂(滝道)を15分歩いた。

箕面山瀧安寺(りゅうあんじ)。
飛鳥時代(658年)に修験道の開祖・役行者が開山した。
箕面大滝で苦行の末、弁財天を感得して悟りを開いた
ことから弁財天のお堂を建立。箕面寺と称したという。


瀧安寺と命名したのは、後醍醐天皇。
山門は光格天皇(江戸末期)が京都御所の門を下賜。
「瀧安寺」と記した扁額は、京都聖護院の座主の作。
山門の先、正面に観音堂が見える。
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観音堂に向かって右手に、箕面川にかかる朱色の
太鼓橋(瑞雲橋)。対岸には本坊や客殿などがある。
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さて、境内を進むと古い石段に出た。中央にしつらえた
赤い手すりの下部には金の勾玉。またもや宝珠が…
ということで、迷わず弁財天堂へと登ってみた。
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境内は、箕面川(右崖下)に沿って奥へと広がる。
 百度石といい、石鳥居といい、神社の佇まいである。
正面は日本最古の弁財天像を安置する弁天堂(本堂)。
左の赤い屋根が大黒堂で、本尊は大黒天と恵比寿天。
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ところで、
役行者が箕面に来た7世紀、瀧安寺の名はまだなかった。
 箕面寺を開いた頃の様子は由緒に見えるが、
これがどうにも謎の多い文章である。

〜西暦658年、役行者が箕面瀧で修行し、弁財天の導きを
受けて悟り宗教家として大成しました。行者は報恩感謝
のもとに、自ら弁財天の像を作成し、瀧の側に祭祀して
箕面寺と称しました。〜

箕面瀧で修行、そして瀧の側に弁財天像を祭祀…?
修行場は瀧上か滝壺か? 瀧の側はどこを指すか?
そんな疑問が浮かんで来るが、開山から
 1400年近く経たいま、瀧の上は箕面ダムとなり、
 修行の場や当初の草庵の痕跡を見つけることは難しい。

ところが、それらの謎を紐解くヒントは、
 ふと開いた『摂津国名所図会』(1796年)にあった。


【箕面瀧】
中央の赤丸(私の加工)に「不動」と記された庵がある。
これが、由緒が語る「瀧の側の祭祀場」なのだろう。
また不動の右上から山頂の「座禅石」まで、登山道がある。
大滝の真上には、「三鈷松」と記されている。ちなみに、
右下の「唐人戻岩」は、現在と同じ位置だと考えられる。
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『摂津国名所図会』には、各所についての絵解きもある。
(要約)
☆三鈷松…瀧の上にあり。ここに役行者の三鈷が掛かった。
☆龍穴…三鈷松の側にあり。岩間に三丈(※3m余)の
大きさで、深淵にして蒼色、その深きこと測りがたし。
☆座禅石…奥の滝の上にあり。行者はここで修行した。
☆白龍石…同じ場所にあり、弁財天が白龍に乗り降臨した。
  ☆天上嶽…箕面山の絶頂。ここで役行者が昇天したという。 



箕面大滝に行った日から約3週間が経つが、きょうまで
 もう一点、私にはピンと来ない語り部の見立てがあった。
こういう話だった。
「箕面大滝の上に、小さな池と小さい祠が視えます。
それは瀧上の龍穴の入口のようです。内部は平らで広く、
さらに何百mか下まで、トンネル状に続いています」
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語り部の話を聞き、瀧安寺では試しに龍穴の出口を探した。
役行者の石像があったので傍らの小祠を覗き見したり…。
確かに中には、井戸らしき囲いが見えたが、大滝から
現在の瀧安寺は大滝から1.6km離れている。
まさかこれではないだろう…と、ひとり苦笑した。
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その疑問についても、いまようやく合点がいった。
『摂津国名所図会』瀧安寺の項目に、次の解説がある。
☆神水…行者堂の傍らにあり、加持水なり。

あれは神水の井戸のようだった。すると、やはり、
龍穴の出口とは、語り部の見る元々の箕面寺の場所か。
いろろいな疑問が少しずつ溶解し始めたいま、
当初、語り部と交わした会話を改めて噛みしめる。

「箕面大滝の上が、アマミキヨ族が落ち着いた場所では
ないかと思います。ところで、箕面の意味は何ですか?」
「大瀧が、農具の“箕(み)”に見えるからだそうです」
「いや、“面”のほうに意味があるはずです」
「面ですか…?」
「竹か何かで編んだ、籠目が見えます」
「籠目…六芒星…ですか!?」


















by utoutou | 2018-06-11 19:50 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(1)

六甲山と瀬織津姫 174 箕面大滝を遡った一族?

勝尾寺(大阪府箕面市勝尾寺)。山号は応頂寺。
高野山真言宗の寺院、西国三十三所の第二十三番所。

栞には、「勝運の寺 勝尾寺(かつおじ)」とある。
縄文時代より霊山として崇敬された歴史ある山という。
〜当山は大阪平野の真北にそびえ数千年の昔より
山自体の持つ霊力と、1300年念じ込んで来た念力により
無類の聖地として崇拝されてきた。〜


この日は、阪急牧落駅あたりを車で出発、
一駅隣の箕面駅前から右折して北へ進み、箕面大滝を散策。
さらに大滝から約3㎞、車でカーブ続きの林道を登ること5分
で、勝尾寺に着いた。8万坪ある境内はまるで聖地公園。
境内はどこも整備完璧で美しく、萌える新緑が目に眩しい。
全山が紅葉に包まれるという秋には参詣客で賑わうという。

〜奈良時代初期(727年)、善仲、善算両上人が山中に草庵を
構え光仁帝皇子・開成(桓武帝異母兄)が、両上人を師と
して仏界を求め、天平元(765)年、弥勒寺を開創。〜


御本尊は、十一面千手観音菩薩。
妙観という観音化身の比丘と18人の仏師が彫刻した。
全国観音縁日が18日なのは、この縁起によるという。
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本堂への順拝路には、三宝荒神も祀られている。
日本で最古の荒神様。1300年前に勝尾寺の初代住職
が瞑想中に感得したのが、創祀の由来という。
「厄難を払う」荒神様として、全国からの参拝者多し。
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境内いたるところに勝ダルマが奉納されていたが、この
荒神堂のダルマが、もっともインスタ映えすると思うと
語り合っていたら、栞にも↓これと同アングルの写真が。

勝ちダルマは、勝運信仰のシンボルだ。
〜当山仏法の祈願力には朝廷の権力も及ばなかった
ことから、王の勝つ寺「勝王寺」と清和帝が号した。〜
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さて、さきほどの本堂前に話は戻って…。
本堂に参拝して振り向くと、玉垣にもダルマが並ぶ。
高度はかなりあるらしく、一陣の風が通り抜けていく。
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そのまま目を転じると、鐘撞堂が凛として見える。
するとまた擬宝珠(ぬぶしぬ珠)が視界に入る不思議。
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それにしても、私は何をしに箕面に来たのだろうか。
一体この旅でアマミキヨ族の足跡に出会えるのか…。

下山して箕面駅でMさんらと別れ、
今度は箕面川の滝道を瀧安寺へと向かって登る。
歩きつつ語り部に電話すると、逆に質問がきた。

「箕面川の源流はどこにありますか?」
「箕面ダムじゃないですか」
「さらに源流まで遡ると、どこですか?」
「はあ。いまは歩いているので調べておきますね」

あれから旅は続き、3日後に東京に帰って日常に戻り、
最初の週末であるきょう、「源流」を知って驚いた。

箕面川の源流は、大阪府豊能勢郡豊能町高山。
ただしその山上部では、余野川が箕面川に合流する。
さらにその山上部では、牧川が余野川に合流している。


牧川…? 大阪府豊能勢勢郡豊能町「牧」の地名もある。
マキとは、先日来注目している、琉球古代集落の名前。
阪急バス路線物語というブログには、バス停の画像も。
牧バス停は、能勢妙見山へと登る山口バス停の隣だ。
そして牧は、山間を走るバス路線の終点。

この大阪平野の真北にあたる、険しい
山間部に北極星(にぬふぁぶし)を祀ったのは…
古代、この地に渡来したアマミキョ族ではなかったか?
しかし、箕面川に大滝がある以上、遡ることはできない。










by utoutou | 2018-06-03 21:23 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)