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六甲山と瀬織津姫 183 箕面の神功皇后伝説

阿比太神社(箕面市桜ヶ丘)↓から
15分の徒歩の後、阪急電車で一駅離れた箕面駅へ。
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ある方に絶版の御著書を分けていただく約束だ。
そこに、「箕面の神功皇后伝説」が記されている由。
いわゆる三韓討征の後、凱旋した神功皇后は、
箕面の如意谷に宝珠を埋めたとの伝説があったと。


待ち合わせした箕面駅前で、以前も見た地図を見る。
(赤丸は私の加工だが)、左上は箕面山・瀧安寺。
右下は為那都比古神社。その間の赤丸が如意谷あたり。
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待ち合わせは『箕面の説話 道教と北摂』('94年刊)
の著者・飯島正明氏。箕面市史学会世話人であられる。

早速、駅前のカフェでお話を伺うが、残念ながら
「箕面神功皇后伝説」の原典・『豊島郷土史論』は、
池田市立図書館にあったが、現在は行方不明とか。
著者の島田福雄氏は他界され、確認しようがないと。

「ただ、確かにその本に箕面の如意谷に神功皇后が
如意珠を埋めたという伝説はあった」と、飯島さん。
そして、自署『箕面の説話』に次のように記した。
(要約)
☆神功皇后は新羅に勝利、多くの戦利品を得て帰った。
☆如意珠と各種の宝石、甲・弓・剣なども持ち帰った。
☆そのうち、武器は武庫山(六甲)に、甲は甲山に、
如意珠は箕面の山内に埋めた。
☆このことを知った者が如意珠を埋めた場所を掘ると、
弁財天女が白龍に乗って降臨し、白い雲を呼び、
西南に向かって飛び去った。
☆いまの如意谷の地名は、埋めた如意珠に由来する。

さらに、私としては残念なことだったが、
著書の題名に、『〜道教と北摂』とあるように、
飯島さんは道教という側面から箕面の歴史に
アプローチされ、「神功皇后の如意宝珠伝承」を
 渡来の霊山信仰が作り出したものと捉えておられた。

 私が「神功皇后の如意玉伝説」に期待したのは、
「その珠は琉球のぬぶし玉」では? という推理だった
 が、氏は琉球との関係は聞いたことがないと言った。


暑いなか、近くの京都資料館へも案内してくださり、
もうひとつの目的である「如意谷銅鐸」も見学したが、
それ以上、神功皇后伝説の背景を探るのは難しかった。
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東京〜箕面、灼熱の日帰り旅は空振りだったか…と
思いつつ、参った為那都比古神社(箕面市石丸)。
その境内で、あることにふと気がついた。
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境内には、少し前に紹介した由緒書きの石碑が。
〜 御祭神 為那都比古大神 為那都比売大神 〜
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そして、その隣には、来て、こうして
見なければ分からなかった、もうひとつの石碑。
そこには、為那都比古大神と一対神ではない、
為那都比売大神の名が刻まれていたのだった。

〜大宮神社 (為那都比売大神)白島 〜と。
冒頭、次の説明が刻されている。
〜国の指導により明治四十年に旧萱野村内に御鎮座
の次の神社が、この為那都比古に合祀されました〜
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前回のブログでも拝借した『実在したイナ王国』
(山内玲子著)に載る略図の意味に、初めて気づく。
御嶽の医王岩、その南に「⛩旧社跡地」とある。
その別名は大宮寺(神社)、祭神は為那都比売大神。
つまり、この地の地主神は為那都比売大神だった?
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為那都比古大神として祀られる
「イナ国の為那都比古」とは、由緒に「1700年前」
と記されることや「埋納銅鐸」からも分かるが、
半島か大陸からの渡来人であることは確かだ。

その為那都「彦」は、上古からこの地を支配した
先着渡来民の「姫」を娶ったのではなかったか。
母系制の集団に入り婿となるのが、弥生初期の聖婚。

ならばその集団は、神功皇后の出自と関係がある?
世にあまり知られなかった神功皇后伝説は、末裔が
かろうじて遺したものとすれば、一族は滅んだか…。

by utoutou | 2018-08-14 20:48 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 182 再び箕面へ

沖縄から東京に戻った数日後、日帰りで箕面へ。
いくつかの興味深い伝承や考察に出会ってから、
是非また訪れたいとそのチャンスを待っていた。

その伝承とは、「三韓遠征から帰った神功皇后は、
箕面の山中(如意谷)に如意珠を埋めた」というもの。

そして考察とは、弥生時代中期に箕面の東に位置する
「千里丘陵から、西は保久良神社(神戸市東灘区)までの
広範囲にわたって、イナ王国があった」というもの。

どちらも私にとっては初耳だったが、もしそうならば、
箕面の地を抜きにしては六甲山は語れないことになり、
当シリーズのタイトルも「イナ王国と瀬織津姫」と改め
なくてはならない可能性があるわけで、事は重大だ。


週末の箕面は最高気温が37,1度という猛暑日。
まずは阿比太(あびた)神社(大阪府箕面市桜ヶ丘)へ。
お昼どき、木陰のある鳥居の下では工事関係の方たちが
休憩しておられたので、写真は撮らなかった。
参道には木陰があったものの、拝殿前の聖域は灼熱…。
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阿比太神社。
 延喜式神名帳(925年)に見える式内社。
由緒に曰く、祭神は素戔嗚尊。応神天皇2年の奉祀。
語り部は、「この地が真実の蘇民将来の発祥地だろう」
と言うが、この件については改めて考えることにする。
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次に訪れたのは、箕面市郷土資料館(箕面市箕面)。
博物館ではない。駅近のショッビングセンターの地下に
資料館があり、さりげなく銅鐸が展示されていた。
聞けば、レプリカではなく正真正銘の本物ということだ。
如意谷銅鐸は高さは86㎝、3世紀のものとされている。
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箕面市如意谷で散歩中の市民によって銅鐸が発見
されたのは、昭和41(1966)年の元旦のことという。
団地造成工事中にブルドーザーが掘り起こした銅鐸
は、すんでのところで全壊を免れて考古資料となった。
如意谷銅鐸は、人為的に横向きに埋納されていた。
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この日、最後に訪れたのは、
為那都比古(いなつひこ)神社(箕面市石丸)。
祭神は為那都比古大神、為那都比売大神。

箕面駅からタクシーで東へ10分、徒歩だと30分以上。
北千里と箕面の中間に位置。つまり千里と箕面は地続き。
また、為那都比古神社の北北西へ徒歩10分で如意谷。
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この為那都比古神社、その旧社地の大宮寺、
そして、現在も巨石として有名な医王岩、そして
銅鐸が出土した如意谷の位置関係はこのようになる。
※山内玲子著『実在したイナ王国』より拝借
(為奈山とは現在の箕面山のことを指しているようだ)
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箕面の医王岩を中心とした一帯を、山内氏は、
イナ王国の祭祀場と記したが、話は冒頭の伝承に戻り…。

ではなぜ、この地に如意珠を埋めたという神功皇后の
伝承は生まれたのか…。いま、その謎に強く引かれる。
「まさにそれが分かれば、アマミキヨの足跡は紐解けます」
語り部もそう言うのである。





























by utoutou | 2018-08-09 21:32 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)