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ニライカナイを、「海の向こうの理想郷」と いう意味だと捉えるのが一般的だと思っていたが、 「遠くはるかな」「根になるところ」の意味もある。 それは遠くはるかな古に生きた祖神の眠るところ…。 琉球民族発祥の地であり、アマミキヨの住居跡と されるミントングスク(南城市仲村渠)にある ニライカナイのお通し(遥拝所)がそれを物語る。 石段を登って御嶽に足を踏み入れると、正面奥に 火の神の拝所があるが、ニライカナイのお通しは その左手(南南西)の崖上の際(きわ)に位置する ![]() 大正15年にミントングスクを調査した鎌倉芳太郎氏 の記録にも、「ニライ、カナイ」ノオトーシとある。 現在のご当主の祖父・知念いろう氏が語ったという ![]() ニライカナイのお通し。 祖神の眠る聖地への拝所とは伝わるが、その聖地は どこかというと、いまや門中の人にも分からない ![]() ニライカナイのお通しは、どこを向いているか? について語り部から聞いたのは、先日の旅の最中だ。 聞いたというより、確認したというほうが当たりか。 東の御嶽に参った後、那覇に行き語り部に会うと、 御嶽のお威部(おイベ)はどこかという話になった。 語り部は言う。 「ミルクの墓はもちろん大事だけれども、いちばん 肝心なのは、もうお参りする人もない古いお墓です」 いま言われても、後の祭り(笑)…と言おうと したが、違う質問が、思わず私の口を突いて出た。 「ミントングスクのニライカナイは、東の御嶽?」 「はい、そうです」 と、語り部は事もなげに言った。 私にとって、長年の謎が解けたのは言うまでもない。 「うさち・ようどれ」という異称にも、合点がいく。 そして新たな疑問も沸々と沸いてくるのもまた事実。 琉球の祖神と伝承されてきたアマミキヨに、さらに 祖神がいたというのは、いったいどういうことか? アマミキヨの先祖は果たしてアマミキヨなのか? そして、そもそもなぜ、東の御嶽だったのか? 謎が解ける日は、果たして来るのだろうか? #
by utoutou
| 2026-07-06 20:20
| 第二章
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