瓊瓊杵命と木花咲耶姫の結婚神話とは、 「北の鉄」と「南の鉄」の融合を指している。 大陸の北から伝わった製鉄技術は、主に火山系 の磁鉄鉱・赤鉄鉱を使う「高温銑鉄製鉄」。 神話に例えれば、邇邇芸命の製鉄技術がこれだ。 大陸の南・江南から伝わった製鉄技術は、 水成岩系の水辺の鉄、つまり褐鉄鉱を還元する、 いわゆる野だたらによる「低温鍛造製鉄」だった。 神話に例えれば、饒速日命や宇摩志麻遅命の製鉄だ。 (※浅井壮一郎・著『古代製鉄物語』を参照) 瓊瓊杵命の四世孫・神武が、列島最大の産鉄地 だった大和盆地(湿原)へと東遷するには、 饒速日命と同じ、「南の鉄」の技術が不可欠だった。 ゆえに、邇邇芸命と木花咲耶姫は結ばれた。 ところで、 北系にしろ南系にしろ、採掘する産鉄族は移動する。 江南から薩摩半島に来た隼人族は、どこへ移ったか? 浅井氏は、その足跡と広がりを次のように記した。 薩摩半島→球磨川河口の八代(熊本)→菊池川 下流の平野(〃)→筑後川(熊本・大分・佐賀・福岡) →嘉瀬川下流の筑紫平野(佐賀)。 しかし、はたして有明海周辺までの範囲だろうか? と、考えたところで、思い出したのことがあった。 関門海峡へも行っていたはずだと。 3年前の今頃、北九州市門司区の和布刈神社で 和布刈神事を見た。旧正月元旦、引き潮の海中に 神職が入り、松明を掲げて若布(わかめ)を採る。 (今年20年の和布刈神事は、25日に行われたそうだ) この若布は、「壇ノ浦わかめ」とも呼ばれる。 いっぽう、和布刈神社にも別名がいくつかあり、 仲哀天皇9年の創祀から明治期まで、「速戸社」 「早鞆社」「速戸大明神」「早鞆大明神」と呼ばれた。 なぜなら、海峡の古名とは、「早鞆の瀬戸」だった。 さらに最古の社名は、「隼人社」「隼人大明神」。 隼人族の足跡が、「早靭」の地名に残っていた。 それでは、この地に祀られた「隼人大明神」とは…? あの旅にちょうど持って出た本…菊池展明・著 『八幡比咩神とは何か〜隼人の蜂起と瀬織津姫』 の次のくだりには、目から鱗がボロボロと落ちた。 〜隼人大明神と呼ばれていた天照大神荒御魂は、 神功皇后の征討譚と神社由緒が結びつけられ… (中略)「西門鎮護の神」と、その神徳が語られて きました。この神の鎮座地は「速吸の穴門の瀬戸」 (早靭ノ瀬戸=速戸)に接するところにあり、 その神徳の原像を言えば、海の神霊から海峡の神霊 へと転じたといえましょう。〜 天照大神荒御魂=瀬織津姫=弁財天=媽祖=天妃。 その原像は、隼人(海人族)が崇めた航海の守護神。 隼人(熊襲)の国・閩越(越、古名・委)の女神。 蝦夷(えみし)の国の女神・瀬織津姫は、 大陸の「夷(えみし)の国の女神」でもあったのだ。 古代中国では、非漢民族を「夷」と蔑称で呼んだ。 古代日本では、まつろわぬ民を「蝦夷」と呼んだ。 隼人大明神(瀬織津姫)が降臨したと伝わる「神居岩」。 #
by utoutou
| 2020-01-29 21:09
| 天孫氏
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