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六甲山と瀬織津姫 171 そして猿田彦大神

遥かに斎場御嶽を望む久高島西海岸。漁港の丘。
琉球王朝の最高神女・聞得大君の名を冠した「君泊」
にアカララキという名の御嶽(写真の左部)はある。

これまで何度も訪れたが、小雨まじりの悪天候に
見舞われたのは、おそらく初めてだった。また、
ここで、観光客用か地名表示板を見たのも初めてである。
「大君口(うぷちんぐち)・君泊(ちみんとぅまい)」と。
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港を背にして小さな石段を登り御嶽の内部へ。そう広くは
ないが、木々に囲まれた丸い空間は明らかに祭祀場だ。
御神体と向き合うと、空間の奥にその常緑低木は見える。
十字に葉が対生するアザカ(長実ボチョウジ)である。
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 拝所の前で振り向くと、手の届くところにまたアザカ。
「気性の荒い神、神名はなく門番」と島で伝わっていた
 アカララキだが、魂の転生・再生を司る女神の中の女神。
 イザイホーの祭では神女たちの籠る七ツ屋を守護した。
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この御嶽で、「十字」の葉の神木に会う意味は大きい。
十字はカジマヤー(風車)、そして四大元素を表すと、
語り部は言う。風と火と水と土。万物の根源的エレメント。
「十字」はカタカムナ族の象徴であり、族名でもあるか。

アカララキについては何度ここに書いたことだろう
かと思い、御嶽に座ったまま自らのブログを遡った。
それほど誰にも会うことのない御嶽だが、いつしか
 私にとって、久高の歴史時間を旅するメインテーマに。

以下、アカララキ関連のブログ記事。

久高島で蛇神を祀る('13年9月)
赤い実の神木('15年1月)
十字の霊力('15年1月)
つまりアマミキヨ('15年2月)
神託の続き('15年2月)
天御中主神('16年8月)
稚日女命の謎('17年1月)
琉球の玉('17年6月)
アカル姫の御嶽('17年7月)
角のある人の世('17年9月)
聖徳太子('17年9月)




雨が止んだ曇り空の下、借りた自転車を走らせる。
五穀発祥伝説の残る、東海岸の聖地・伊敷浜へ。
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浜への降り口にも、南城市が設置したらしい説明板。
〜モンパノキ、ミズガンピの群生に覆われ、真白な砂
が広がり自然の海浜植生が見られる。五穀の種子の
入った白い壺がニラーハナー(ニライカナイ)から
流れ着いた五穀発祥の地伝説の浜である。
『琉球国由来記』(1713年)には、琉球国王が行幸
の際、東方に向かって拝礼することが書かれている 〜
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  浜への道の右にある拝所(↓写真中央奥)でutoutou。
 その手前に青々とアザカの木が茂っていることに、
  初めて気がついた。まさにヒンプン(屏風)のよう。
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「十字」を成す葉、葉、葉…を見つめていて、ふと
猿田彦大神を想う。猿田彦は「申田彦」ではないかと…。
猿田彦についても、アザカの関連で書いたことがあった
かと改めて調べ、自分でも忘れかけた記事を見つけた。

久高島の聖なる種('15年1月)。

猿田彦が大和神話で、「岐(くなと)の神」や
「八衢(やちまた)の神」とされたのは、申田彦…
つまり、十字(沖縄方言でアザカ=アジマー=永遠)
 の霊力を発揮する猿田彦大神だからではないだろうか。

 語り部が、猿田彦大神を久高島の始祖神として
 繰り返し挙げていたのが、いまならそれも頷ける…。
その神はおそらくカタカムナ族の祖神でもあるのだ。



















# by utoutou | 2018-05-14 06:57 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)