太子と共に太子廟に眠る膳妃(かしわでのきさき) は、膳傾子(かしわでのかたぶこ)という豪族の姫。 4人いたという聖徳太子の妃のなかで、膳妃こと 膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)だけが、太子と 合祀されたのは、寵愛を得たという理由だけなのか? また逝去の時期が近かったという理由だけなのか? それを探るために、叡福寺の印象を振り返ってみる。 叡福寺南大門。 聖徳廟の扁額が掛かるこの門に立ったときから、 磯長墓へのアプローチが始まっているように思えた。 叡福寺は622年、太子廟を守護する目的で推古天皇が 建立したというが、その123年後の745年、聖武天皇が 伽藍を建立したと伝わる。123年後とは何やらゴロがよい。 #
by utoutou
| 2017-10-21 10:42
| 瀬織津姫
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