『契丹古伝』は、新羅は熊襲が興した国だと記している。 それで分かったのが、記紀にある神功皇后の新羅遠征の段。 香椎宮にいて、熊襲征伐についての神意を仰ぐ仲哀天皇に、 神がかった神功皇后の伝えた内容が、これまで腑に落ちなかった。 『古事記』では、天皇が熊襲征伐について是非を問うた その意図を、まるで無視するかのように唐突な神託が下る。 「西の方に国がある。金銀をはじめとして目を輝かせるような 数々の珍しい宝物がある。私はいま、おまえにその国を与え ようと思う」などと、新羅への遠征を進言するのである。 それに比べると、『日本書紀』はもう少し筋が通っている。 神は「熊襲の国は戦うには足りない」と神は告げ、新羅には 金銀財宝が豊富にあることを伝え、自身の手厚い祭祀を要求し、 「ならば熊襲も新羅も血を流すことなく服従するだろう」と宣った。 (九州にある)熊襲の国か、(半島にある)新羅の国か…。 あたかも二択問題の答えのような神託を不自然に思っていた のだったが、新羅が熊襲の興した国ならば納得はできる。 三韓征伐は史実か否かという点はさて置き、ともかく、 富のあるほうの熊襲(新羅)を撃てと、神は説いたことになる。 『國史畫帖 大和桜』より「三韓征伐の図』。 神託に従わなかった仲哀天皇に、神は冷酷に告げた。 「汝は国を保てないであろう」(日本書紀) 「おまえはさっさと黄泉の国へ行くがよい」(古事記) 天皇を死に至らしめた神とは、他でもない瀬織津姫。 新羅遠征から凱旋帰還した神功皇后によって、 ↓廣田神社(西宮市大社町)に祀られることになった 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大御神荒魂)である。 そんなあれこれを考えると、 天照大御神荒御魂は、国を外難から守護するだけではない、 というか相反する神徳を併せ持っていることが分かる。 熊襲と新羅を服属させたいなら我をよく祀れと宣り、 それに背いた仲哀天皇に祟り、ついに死に至らしめた神、 その託宣神・撞賢木厳御魂天疎向津媛命とは、 熊襲と新羅の民が崇めた女神ということになるのだろう。 もっと言えば、アジアの南原にいた先住民・クマソの崇めた神。 瀬織津姫を私たちはいま、「蝦夷の国の女神」と呼ぶが、 元を正せば、大陸の「夷(えびす)の国の女神」だった。 新羅遠征から凱旋した神功皇后は、その神を手厚く祀った。 あるいは、記紀編纂者は手厚く祀る神話を作り上げた。 なぜなら女神は藤原不比等にとっての祟り神だったからだ。 ところで、新羅遠征をめぐっては、他にも「祟り神」がいた。 『日本書紀』に「祟る所の神」として記されているのは… 「日向国の橘小門の水底にいて、水葉も稚に出で居る神、 名は表筒男、中筒男、底筒男の神…」↓住吉神社の三神である。 そして、「尾田の吾田節の淡郡に居る神…」。一説には、 生田神社(神戸市中央区)に祀られる稚日女命と言われる。 もう一柱が、「天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神」。 長田神社(神戸市長田区)に祀られる出雲の事代主神らしい。 事代主神については、国獲り神話に登場する出雲の神が何故? と、かねがね思っていたが、語り部は意味深に言った。 「どうも、出雲の事代主とは違う神という気がします。 そもそも、長田神社の元宮はどこにあったのでしょう?」 #
by utoutou
| 2017-07-22 14:43
| 瀬織津姫
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