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縄文アマミキヨ〈1〉太陽の道

「追跡アマミキヨ」を終了してから約4ヶ月経った
ゴールデンウィーク前、玉城(南城市)を訪れた。
玉城城(ぐすく)の一の郭に立ち、ブログの原点と
なった「太陽の道」を改めて見つめたいと考えた。

「追跡アマミキヨ 」の初回は「久高島に昇る朝日」、
次は「太陽の道」と「貝の道」として綴っている。

当時は、ある調査報告書の一文に惹かれていた。
〜玉城城一の郭の門(スーフカ)正面にある、
アマツヅ御嶽は、夏至の時期に日の出とともに
太陽の光を受けるよう設計されている〜

ところがその後、玉城城の一の郭に何度も立つうち、
私の関心は、城内から城外へと次第に移り変わった。

玉城城は約600年前、英祖王統期の築城とされるが、
その城門を誰が「太陽の道」を活かして設計したのか?
という構造にまつわる興味ではなく、
誰が最初にこの高台で「太陽の道」を発見したのか?
という古代の人々の視線のほうへ。
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第一章の頃、語り部が昔からこの高台で視たという
超古代の風景について何度も聞いていた。例えば、
原人のような小さな人を視たとか、ステッキを持った
鼻が高くて外国人風の男性を視たなどという話を。

「縄文の頃から…そして各地から…」と、私は絶句した。
しかし、視えない私には確認のしようのないことで、
結局、長い間、私はそのことをブログに書けなかった。

とはいえ、忘れたわけではない。逆にだんだんと、
この高台に流れた時間そのものを遡りたくなった。
誰が最初にこの玉城で「太陽の道」を発見したのか?
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その意味で、
「追跡アマミキヨ」第二章にあたる「縄文アマミキヨ 」
は、第一章を遡上して最後に書く序章のようなものだ。

よく晴れた4月末日、琉球ゴルフ俱楽部のある
高台で、まず参りたかったのは東(あがり)の御嶽。
その半月前、玉城台地に点在する御嶽を管理する方
から、10年ぶりに連絡をいただいた偶然も幸いした。
ゴルフ場の御嶽には関係者の同伴なしには入れない。


その日の午前、玉城城一の郭に一人で登ってみた。
グリーンのなか、中央右あたりに東の御嶽はある
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語り部によれば、この高台でもっとも古い御嶽という
が、はたして東の御嶽は、東に向いているか…?




4月末日当日6:00、ユインチホテル南城から朝焼けを望む
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# by utoutou | 2026-05-14 16:53 | 第二章 | Trackback | Comments(4)