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六甲山と瀬織津姫 52 丹後の姫たち

神功皇后が創祀した廣田神社。祭神である
撞賢木厳御魂天疎向津媛命(瀬織津姫)を祀る
斎宮(巫女)は葉山媛といった(こちらにも記事)。
海部氏の勘注系図に記される山背根子の娘という。
よって、神功皇后と同じ「丹後の姫」である。


初代斎宮として、廣田神社の摂社である
斎殿神社に祀られている(写真は再掲です…)。
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『日本書紀』や神社の創建由緒にもある通り、
神功皇后らが朝鮮半島出兵から帰還する折りのこと。
応神天皇の異母兄弟であるカゴ坂王と忍熊王が
武装して待ち構えていると知り、皇子を紀伊水門に
避難させると真っすぐ難波に向かった。が、難航。
すると、天照大神が「我が荒魂を皇后の近くに置く
のはよくない。広田国に置くのがよい」と、神意
を示したので、葉山媛に祀らせることにした…。


また、葉山媛の妹である長媛は、事代主命を
↓長田神社(神戸市長田区)に祀った。その
神意は「自分を長田の国に祀るように」だった。
祀った長媛も当然のこと、「丹後の姫」である。
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いっぽう、天照大神の妹・稚日女尊が、
「自分は生田長狭国にいたい」と神意を示した
ので、海上五十茅(うながみのいさち)に
祀らせたのが、生田神社(神戸市中央区)の由緒。

では、この巫女も「丹後の姫」なのだろうか?
について探ってみると…。

現在まで、生田神社の社家は天穂日命の末裔と
 のことで、海上五十茅も同系譜の姫と考えられる。

天穂日命は出雲の神だが、丹後にある産霊七社
(京丹後市久美浜町市場)にも祀られている。
ちなみに、こちらの社家は日下部氏という。

市場村に、姫に関する不思議な伝承がある。
〜竹野神社(京丹後市丹後町)の巫女は、
市場村の日下部氏の血を引く娘と決まっている〜

その竹野神社は、同じく丹後の日本海側にある。
天照皇大神を祭神とするが、摂社の斎宮神社
には、竹野媛と日子坐王などが祀られる。
開化天皇の妃となった竹野姫も「丹後の姫」だ。

とすると、
生田神社で稚日女命を祀った海上五十茅も、
市場の娘…つまり「丹後の姫」の可能性が大か。

丹後から大和へ、摂津の六甲へ。
日本海から遠く隔たる瀬戸内海まで、姫たちが
何かにつけやって来た。あるいは喚し上げられた。
その理由とはまた、どういうことだったのか?
甲山の神呪寺を建てた真井御前こと、海部宮司家
31代・雄豊の娘だった厳子も「丹後の姫」。



そんなわけで、丹後半島に出かけてきた。
台風の間隙を縫い金曜日、東京からの夜行日帰り旅。
まずは海部氏の籠神社と、奥宮・真名井神社から。
その佇まいは、3年前とはかなり変貌していた…。
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# by utoutou | 2016-09-19 09:14 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)