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琉球玉依姫〈6〉「天女伝説」まとめ

当ブログでアクセス数の多かったシリーズと言えば
ダントツに『沖縄の天女伝説』だと思っているが、
そのなかには、しばしば玉依姫の名が登場する。
天久ノロとなった中玉依姫(諱)にちなみ、
ここで天女伝説シリーズをまとめて振り返りたい。

まず、シリーズ中もっとも読まれたのが↓こちら。
(〜から〜の部分が、内容のポイント)
〜弁財天に見える(掛軸)中央の美しい神女こそ、
古代琉球より代々神に仕えてきた日巫女。そ
その名は…「玉依姫」と語り部。

魂が依り憑く姫、あるいは神の子を宿す姫、
そして、男兄弟を守護する妹である「オナリ神」。
国王と祭政一致を司る、聞得大君の元型である。〜
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天女伝説シリーズを始めたのは、2015年の夏。
ちょうど、沖縄の天女伝説と産鉄との関係に関心が
 あり、その伝承地を歩きたいと沖縄を旅していた。
 
 そこで語り部から「天女神加那志」の伝承を聞いた。
天孫氏の系譜に見える神名が、天女の原型だという。

その御骨が、斎場御嶽の奥宮・ナーワンダーグスク
に埋葬されたという口伝は『琉球祖先宝鑑』にも。
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シリーズの回を重ねるごとに、天女が王統の祭祀に
とって欠かせない存在だったということが分かって
 きた。神と繋がる霊能性を求められたのだろうか。

〜語り部は言ったのである。
「琉球王朝の初期の頃、聞得大君が即位式をした
のは寄満で、その理由はここに
天女神加那志が祀られているからです。
  風葬墓もあると神人おばあたちから教わりました」〜


〜斎場御嶽の風葬墓とはナーワンダーグスクを指す。
斎場御嶽の奥宮である。昭和以前には
参拝できたといい、さらに遡り、
琉球第二尚氏王朝三代の尚真王の時代までは、
そのナーワンダーが第一の御嶽であったため、その真下
に位置する寄満で王と聞得大君が戦勝祈願した 〜


〜「(斎場御嶽の)寄満は台所じゃなかったのですね」
と確かめると、語り部は言った。
「古代には、五穀の倉があったと思うのです。
伝説に出てくる天女の羽衣はどこに隠されますか?」
「稲倉です。だから、ここにも天女伝説があったと?」
「はい、天女神は機織り姫でもあったと思います」
「それでナーワンダーグスクから機織り機が出土した」〜
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〜ここまで史実が判明しているのに、なぜ(察度王の)
母はいつまでも、ただ天女として語り継がれるのか。
隠さなければならない系譜の女なのか。
(察度王の父)奥間大親は本当に貧農の男だったのか…。
謎は多い。〜


〜 中山王・察度(さっと)の母は天女、
琉球王朝の王妃もまた天女。母も妃も天女とした
ところに政略的な作為を感じるのは、私だけか?
などと思いつつ、森川公園を出ると、近くに
たいへん立派な拝所があるのに気づいた。

神壇の位牌には、アマミキヨ直系の神名があった。
すると天女と結婚した奥間大親は、アマミキヨの
末裔? 天女周辺の謎がさらに深まってきた。〜


〜 あるとき、宜野湾の我如古(がねこ)に
あった察度王の流れを汲む新垣という家で、
お爺さんが、少年だった語り部に尋ねた。
「オマエは、天女とは誰のことだと思うか?」
「おじい、天女は天女じゃないの?」
「バカを言うな。人と天女の間に人ができるか」
困り果てた語り部に、お爺さんは言った。
「天女はね、銘苅(めかる)の娘だよ」〜


銘苅家とは、諡を中玉依姫と呼ばれた大主乙樽の
 生家・崎間家(屋号は尻利武川家)の鼻祖(元祖)
  であると、『アミク村の歴史と民俗』は伝えている。
  中玉依姫は、自ら名を明かした「天女」だったのか。
つづく…。






# by utoutou | 2024-01-19 20:10 | 最終章 | Trackback | Comments(0)